【聖書の基本】ティベリアス湖

2020年4月26日

21:1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。
 
ヨハネによる福音書ではすでに6章で、「イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた」(6:1)と記され、五千人に大麦のパン五つと魚二匹を満腹するまで与えていました。この説明で分かるように、「ガリラヤ湖」と「ティベリアス湖」とは同じ湖を意味します。
 
この湖は、南北に21km、東西に13kmの大きさであるといいますから、博多湾(東西約20km・南北約10km)を眺めたときの広さと同じくらい(博多湾のこの10kmというのは閉じられていない)の感覚であろうと思われます。
 
同じ湖のはずですが、ルカによる福音書では「ゲネサレト湖」(5:1)とも呼ばれています。これは「ゲネサレト」という土地が西側に平原としてあった故でしょう(マタイ14:34・マルコ6:53)。ルカは必ずしもユダヤの土地について通じていなかったようですから、現実に湖がこのように呼ばれていたかどうかは分かりません。
 
また、この湖は旧約聖書では「キネレト湖」(民数記34:11・申命記3:17・ヨシュア11:2,12:3,13:27,19:35・列王記上15:20)とも呼ばれています。「キネレトの海」ように称されることもあるようで、湖と海との区別にはさほどうるさくなかったものと思われます。これは、「竪琴」を表す語に因んでいるようで、この湖の形が竪琴に似ていると理解されていたためだろうと考えられます。
 
ここから南へヨルダン川となって水が流れていき、100kmほど流れて死海へと注ぐことになるわけですが、このヨルダン川の名は「下る川」のような意味だそうで、内陸部を下って行き着く死海は、海抜マイナス430mと、地上で最も低い場所だと言われています。するとこのティベリアス湖はどうかというと、こちらもマイナス200m以上と恐ろしく低い場所になっています。流れこむばかりでどこへも流れ出さない死海は、塩分をためこみついに生物が殆ど生きられないような死んだ湖となっているということから、キリスト教徒がただ恵みを受けるばかりで自分からそれを外に分けていかないと、死海のように死んだものとなってしまうぞ、という説教がよくなされます。
 
ティベリアス湖という名は、ローマ皇帝ティベリウスに由来します。キリストの十字架刑のとき(A.D.14-37)のローマ皇帝です。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21・マルコ12:17・ルカ20:25)というときの皇帝がこの人物であると理解できます。ヨハネがどうしてこの皇帝の名で湖を呼んだのか。そもそもこの呼び名は、ヘロデ大王の息子であるヘロデ・アンティパスがガリラヤ地方の領主となったときに皇帝の名をもつ都市を造営したことに由来しています。イエスの宣教活動が行われていた時代には、この真新しい都市が生き生きと活動していたことでしょうし、それ故にまた多くの人がこの湖をティベリアス湖と呼んでいたのではないかと想像されます。
 
そこはローマ文化華やかな都市でした。イエスはそのせいかその町には近づいていません。ガリラヤは、もともとカナン人の住んでいた土地で、イスラエル部族が入り込んでから征服はしたものの、アラムやアッシリアなど外国からすぐに攻められる場所、イスラエル北端にあったので、外国人と混血が起こるなどして、イザヤは「異邦人のガリラヤ」(8:23)とまで呼びました。ヘロデは政治的にはうまく立ち回り、ローマ帝国から信頼され、イスラエル全体を治める立場を得ましたが、もちろんこれはローマに尻尾を振る傀儡政権であることは当然で、ローマ文化を盛り立てる都市形成をしたことも、何ら不思議なことではありません。
 
 
※この「ワンポイント」は基本的に今回で終了します。お読みくださった方々、ありがとうございました。せっかく主日に開かれた聖書です。少しの時間でも、聖書箇所で気づいたことや疑問点などを、ちょっと調べてみるという習慣がもてたら、と願います。



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