優秀なウイルス

2020年4月4日

新型コロナウイルスについて、私が一時誤った見解を提示していたことについて、謝罪します。毎年のインフルエンザでも多数の死者がいる以上、必要以上に怯えるのは却ってよくないのではないか、とする考えです。しかし、新型コロナウイルスは、やはり通例のインフルエンザとは質的に異なる様相を呈してきました。その感染拡大と急激な死者数の増加は、確かに怯えるという考えに支配されてはいけないとは思いますが、甘く見るようなことをしてはいけないのです。甘く見てはいなかったつもりですが、そのように見えたかもしれないことをお詫び致します。
 
新型であればインフルエンザでも警戒しなければなりません。免疫がないからです。樹状細胞が敵を認識すると、免疫細胞が出動します(このあたり「はたらく細胞」は実に分かりやすいマンガでした)。しかし初物に対してはその認識が働きません。これを免疫がない、と称します。免疫がない以上、感染してもウイルスはたたかれず生き残るわけで、今回もウイルスにとっては、さらさらのきれいな体の中に、容易に移り住んでいくことができます。そのウイルスを警戒しない状態であれば、簡単に居座ってしまうわけです。
 
新型コロナウイルスは、誤解なきように受け止めるべきですが、ある意味で優秀なウイルスであるという説明がなされたことがありました。ウイルスが仲間を増やし拡大していくことを目的とするとするならば、今回のウイルスは、非常に優れた性質をもっていることになります。
 
それは、潜伏期が長い。つまり、長期にわたり、発症をせず隠れているということです。通常のインフルエンザは、1日から長くても3日と言われます。発症すれば人類は治療を始め、それなりにたたくことができるとしますと、他人に感染させる期間が比較的短いために、感染拡大の可能性がその分低くなります。しかし新型コロナウイルスは、5日から2週間と言われています。この間発症しませんから、知らずして他人に感染させる可能性が高まります。ウイルスは活動場所を簡単に増やしていくことになります。
 
ちなみに、今回は肺炎症状が顕著ですが、タバコを吸う人、つまり喫煙者は、簡単に重症化するとのことです。これは、普通の肺炎でもマイコプラズマ肺炎でもそうですが、喫煙により肺にダメージを受けていることが災いして、あっという間に進展するのです。志村けんさんが亡くなる前、症状がたちまち重篤化したというのは、喫煙によるものではないかと思って調べたら、少し前まで相当なヘビースモーカーであったことが分かりました。数年前に肺炎を患ったときの苦しみから禁煙をしたといいますが、むしろその時よく持ち堪えたものだと思います。一度ぼろぼろになった肺は、二度と回復しないので、今回は抵抗する暇もなく襲われたのではないでしょうか。
 
感染した人は、自分が感染したことに気づかない。この状態が長く続きます。だから人は、自分は大丈夫だという考えをもち続けています。けれども、実はその人の中でウイルスは増殖をしていきます。そしてあるときに、自覚症状が出る、あるいは誰か他人がおかしいぞと目に見える症状を示す、そして調べたら、もう取り返しのつかない状態に陥っていた、ということになりかねないわけです。
 
私は、ハッと気づかされました。このような話は、どこかで聞いたことがある、と。
 
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」(マタイ12:43-45)
 
そして、そもそも悪魔というものは、直ちに症状を現さないのです。その潜伏期間はいくらでも長くすることができます。自分では悪魔などいないとせせら笑うその人の中で、悪魔はしっかり魂を牛耳っており、その人の善人ふうな態度をもって、他人にまた感染していくようになります。しかし何か事が起こると、悪魔の本性を見せつけるようなこともありうるし、その人を冒して取り返しのつかない状態に陥らせることにもなってしまいます。
 
そういうケースを、目撃したこともありました。もちろんそれをここで論うことはしませんので、信じて戴けないかもしれませんが、この新型ウイルスの性質を知るとき、どうしてあのような人があんなことを、というかつての幾つかの疑問が、すっと消えたのは確かです。
 
新型ウイルスのために警戒を怠ることはよくないのですが、自分は感染しているのではないか、と必要以上に怯えないようにしましょう。むしろ、感染しているものとして、他人に接するという心構えでいるべきではないか、と提言した人がいました。納得できます。また、いまから免疫力を高めよう、という人もいるようですが、そもそも免疫がないから新型なのであって、免疫はつけられません。ただ、基礎体力や栄養状態などは改善できますから、感染していても、負けないだけの生活は可能です。そこから免疫はつくのかもしれません。それでも、無用に大量のウイルスを体内に許すとなると、自身の生命が脅かされるのは確かでしょう。そのためにも、先日お話ししたように、形だけでない「手洗い」が必要です。ウイルスにしても、基本的な手洗いや接触ルールを守っている中では、まだリスクは小さいと言えると期待したいものです。
 
ところが、悪魔のほうは、ウイルスよりもさらに巧妙です。直接接触しなくても、感染力をもっているのです。原罪は遺伝するか、という神学議論が真剣に行われたことがあったそうですが、悪霊の感染はもっと確実でありましょう。そして隠れています。
 
そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」……それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(マタイ7:5,14-15)
 
手を洗うというのは、衛生というよりも宗教的理由のためであったようですが、水で手を洗っても、悪霊の感染を防ぐことはできません。まさに、食事の前に手を洗うということが(もちろん律法のそれは宗教的な意味合いであったとしても)、人間をきよくするのではないわけです。
 
あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。(コリント一6:11)
 
彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。(黙示録7:14)
 
イエスの血で洗うこと、神の霊により洗われること。魂の衛生は、これに尽きることになります。悪魔の存在は、見えない形でウイルスのようにあって、人間をダメにしていきます。まさか黒ずくめで先が矢印の尻尾をもっている姿をイメージしている人はいないでしょう。聞くところによると、フランス語では「悪魔の尻尾を引っ張る」という言葉があるそうで、私自身の姿を言っているのかしらと思われる(冗談)ふしがありますが(悪魔にすがりついてでも金が欲しい)、西洋の世界でビジュアル化した悪魔の姿は、どこか擬人化されたものになっています。でも、それは見えないんです。頻繁に手洗いをすることがウイルスの予防の基本であるように、いつも「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。」(テモテ二2:8)
 
これから受難週に入ります。十字架のイエス・キリストを見上げる日々となります。「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」(コリント一2:2)



沈黙の声にもどります       トップページにもどります