【聖書の基本】不正な管理人

2020年3月1日

ルカ伝の十六章は難しい
 
クリスチャン作家として非常に信仰を重んじた三浦綾子さんの句です。手許にその本がないので、うろ覚えではあるのですが、だいたいこんなふうだったと思います。正確ではないかもしれませんので、孫引きなさらないようにお願いします。ただ、こうしたものとして心に残っています。聖書を福音的に深く学ばれた方でも、考えれば考えるほど難しかったというのですから、私たちが思いつきで安易に理解したつもりになることは止めたほうがよいかと思います。ここの譬えの意味はズバリこれだ、ほかは間違いだ、と叫んでいる人がいたら、全く信用しなくて構いません。ここは昔から説明に困る、難解とされた話であることで有名なのです。
 
この16章には、後半に有名な「金持ちとラザロ」の話があるのですが、前半には、この「不正な管理人の譬え」があります。そしてそのどちらにも、金という問題が絡んでいます。ルカの編集により纏められたのですから、ルカの思惑というのがあったという事情も加味しますと、益々イエス本人がどう言ったのか、不明になる可能性があります。
 
そう、この管理人はとんでもない奴です。公文書偽造をはたらいたのです。しかしその被害者である主人が管理人を褒めています。イエスの譬えにおいて、多くの場合、この手の主人は神を表すことになっているのですが、犯罪を推奨しているかのように見えて、私たちはすんなり肯定できないように感じます。
 
焦らないようにしましょう。こじつけることも控えましょう。しかし、自分がこの譬えを引き受けることは可能だと思います。つまり、この譬えの客観的な意味を説明するということはする必要はないのですが、この譬えを主観的に、自分はどうするかという問いとして受け止めて、それに対してレスポンスするということは、大切なことではないかと思います。
 
まさか、主人の役に身を置く人は普通いないと思いますが、ありえないことではないかもしれません。何かしら上の立場にいる人が、こんな部下がいたときにどう対処するか、知恵が与えられるかもしれません。もちろん、多くの場合は、管理人の方なのでしょう。それともまさかの、油百バトス借りていた人かしら。聖書は、様々な角度から味わうことができます。そのとき、呼びかけられた声がまた違いますから、思いがけない世界に目が開かれることがあります。聖書は無尽蔵の泉となります。
 
そんな中、有名な言葉を挙げておきます。これらは、ふと生活の中で思い起こすことが多いとされている言葉です。譬え全体の説明はともかくとして、こうしたまとめ的なものは、脈絡とは無関係に、助けられることがあってもよいのではないか、と。
 
16:10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
 
16:13 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
 
最後に、桜井良一牧師の礼拝説教で「不正にまみれた富で友達を作りなさい」というものがインターネットのサイトに紹介されていることに触れます。最後のリンゴの木の言葉はルターの言葉ではないはずですが、この譬えについての幅広い検討がなされていて、読み応えがあります。リンクを張ることには許可が必要だといいますので、お時間がありましたら、検索してみてください。



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