教会の会議は時短できるのではないか

2020年2月12日

せっかくの日曜日、そこしか基本的に集まらない組織としての教会ですが、そこで賢い、と言うと語弊があるならば、信と力に満ちたメンバーが、礼拝の後そそくさと会議に向かう。そして夕方まで会議を開き、長い一日だったと疲れて帰る。
 
もったいなくないですか。もし礼拝の後にすぐに帰るというだけで終わらないとしても、その時間、こうした才覚のある方々が、たとえば教会が地域社会に奉仕するとか、人々を招くプログラムを実施するとか、聖書の学びをリードするとか、音楽の指導やら、レクチャーやら、他のことに割り当てられるとしたら、教会の活動が、もっといきいきとするのではないでしょうか。
 
会議が長いのは、企業でも問題となっています。その時間に重役が縛られ、いわば多大なコストがかかっていくことになるからです。もちろん、会議をなくせと言っているのではありません。その必要や有効性を否定するものではありません。ただ、短くできるものであれば極力短くする有効な方法を試みることなしに、旧態依然と顔をつきあわせてうーんと唸っているばかりの繰り返しを当たり前だとしていませんか、という問いかけをしているのです。
 
では会議を始めます。議題はこれこれです。それについてAさん、説明してください。ああたらこうたら。それはどういうことですか。いやぁそれは困りましたね。どうしたらいいでしょうか、いいアイディアはありませんか。うーむ。じゃあこういうのは? それいいですねぇ。でも、こういうときにはできませんね。そうか、確かにこれは難しいですね。どうしたらいいでしょうか。では次回までに考えてくることにしましょう。
 
どうでしょうか。これだけの時間、まるまる無駄だとお気づきでしょうか。予め議題を知っていただけで、これらの時間はすべてなくなるのです。さらに、予め質問を受け、答え、あるいは案を出してみて、問題点が指摘され、調べるべきところは調べておく。なんなら多数決もとっておく。ここまでが、会議以前にできていたら、「次回持ち越し」どころか、会議に顔を合わせたとき、では予め了解しておいた通りでいきましょう、の一言ですべて決定です。
 
そう。今はインターネット環境が充実しています。議題をすべて予め流しておき、周知のこととしておきつつ、案を出し調べてみて、どういう路線でいくかなど、考えを述べ合いぶつけ合うことも簡単にできるのです。
 
以前は、メーリングリストがこうした話し合いを可能にしていました。しかし、聖書翻訳業務であるのならともかく、バラバラのメールが逐一送られてくるというのは、議論するにはそぐわないと思われます。電子フォーラムというものも使われたことがありました。これもあちこちからそれぞれに口出しする場として機能したと思われますが、いまはなくなりつつあるし、やはり会議の場としてはやりにくいことでしょう。
 
最初私はこのツールとして、LINEがよいのではと思っていました。グループLINEは特定のメンバーだけが参加できます。しかし、これは議論を呼ぶのには不適切だと分かりました。LINEは時間的流れでひとつのものしか存在できません。複数の話題に、いろいろな意見が交わされる場としては収集がつかなくなります。また、画像などの資料が、一定期間しか保存されないということもあるし、情報のサーチの点からしても、使いにくいだろうと思います。
 
そこへいくと、Facebookは非常に使いやすいと理解しています。画像や動画の保存も問題ないし、ツイートのような字数制限もありません。誰が誰の意見に対して返信したかも明らかで、その返信がツリー構造になっているため、複数の話題の議論が並行して展開できます。ひとつの議題をひとつの記事としてそこにコメントを重ねていくようにすると、議題がいくつもあっても、それぞれがきれいに整理されて現れます。情報検索の点からも非常に扱いやすいものと思われます。
 
メンバーだけのグループにしておけば、公開されることもありません。役員が変われば、以前の人をブロックしたりメンバーから外したりもできるし、新たなグループを、何年度の役員、として作ることも可能でしょう。そうすると、いまは役員でない人も、昔のグループの内容を確認することだってできます。
 
もちろん、役員全員がネット環境にあるかどうかは分かりません。しかし、インターネットを利用していない役員が現れたら、教会名義で格安スマホを契約するくらい、してもよいのではないでしょうか。Facebookの扱い方だけは覚えてもらい、意見を書き込めるようにする。文字の打ち込みが難しければ、紙に書いて撮影して画像として意見を述べることもできる。その他、ハンディキャップなどにしても、その都度可能な方法がきっとあるだろうと思われます。
 
もしかすると、ヴァーチャルな場における会議だけですべて業務が終わるかもしれません。会議の日に出席できない役員の意見も活かせますし、遠隔地にいる役員も可能ということになります。
 
いつも私は言いますが、パウロがこんなツールを手にしていたら、喜んで使いまくったのではないかと想像するのです。情報ツールがせっかくあるのですから、利用できる機能は利用すればよいのです。もちろん、実際に顔と顔を合わせて、感情的な要素を取り混ぜながら、議論をするということの意味も分かります。口では賛成と言いながらも、実は嫌がっているんだな、というような捉え方をすることで、事態をより良い方向に導くということも、よくよく分かります。だから、最終的に顔を合わせて確認すればよいと思うし、調整してもよいと考えます。けれども、内実的な議論はもう出し合っていますから、問題点も互いに了解しており、調査も済ませているわけですから、ある程度の感情的なものも付き合わせたところで、従来のような多大な時間を無為に浪費することはなくなっていくのではないでしょうか。
 
うまく導くファシリテーターが育成されたならば、労力の軽減と、他の事柄へエネルギーを注げる、良い効果がもたらされるに違いない、と私は考えます。まずはやってみたらよいと思うし、だんだんとやり方に馴染んでいけばよいと思うのですが、如何でしょうか。



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