益城町は雨が消え、風が吹き荒れていた

2020年1月29日

福岡は台風のように雨風が強く、そのせいか都市高速道路や九州自動車道では事故が相次ぎ、ひどい渋滞となったために、いつもの2倍の時間を費やして、ようやく益城町に辿り着きました。すると熊本は、雲はあるものの晴れ間すらあり、その後晴れ間が拡がっていくのを見て、すっかり「天気の子」の中で明るく陽が射していくあの希望のシーンが目の前に再現されるような気さえしました。ただ、強風のためにいろいろなものが飛んだり倒れたりする様子はありましたが、集会所の中は暖房もあり物音もせず、静かな語らいが保てました。嵐の中の舟も、イエスがいれば安心だというような体験であった、などと言えば大袈裟でしょうか。
 
熊本の震災から間もなく四年間という月日を数えようとする今、仮設住宅は大きな変化を遂げようとしています。1月半ばの地元放送局の調べによると、「現在も仮の住まいで暮らす人は約5100人で、市町村別では益城町が4割近くを占め、最も多くなっています」とのことですが、全17箇所それぞれにあった仮設団地の入居者の減少のため、一箇所に集約されることが決まったのです。各地の団地が10分の1ほどの人しかいないというのは全体から見ると好ましい状況ではないとして、この4月から、住み慣れた土地、あるいは少なくとも数年間を過ごしてきた仮設の地から多くの人が離れ、一箇所に集まることとなったのでした。
 
私がささやかながら参加させて戴いていたカフェの活動は、小池島田の仮設団地にある集会所で続けられてきましたが、ここにもやがて仮設入居者がいなくなるため、この活動も、2カ月後の3月を以て幕を閉じることとなりました。
 
毎回来てくださっていた方も次第にその地を去り、ついにこの1月では、2人の方が訪ねてくるに留まりました。しかしとても喜んで来てくださり、またこれまで言えなかったようなことも口にしてくださることで、今回は非常に内容の濃いものであったと思います。
 
ボランティア活動のひとつとして分類することとすると、もちろんほかにも多くの組織や団体が、これまで活動をしてきました。ただ、頻度は2カ月に一度ではありながら、ずっと続けているというものは稀なのだそうです。また、ボランティアと言いながらも、現地の意向にそぐわないものもないわけではなかった、という話も聞きました。
 
家族を亡くしたお年寄りが、位牌すら灰燼と帰した家のあった場所の土をドリンク剤の瓶に詰めていた姿に涙した話。ほろりときます。その傷みは、いま自分のこととして重ねることはできないにしても、人を喪うこと、もっとしてあければよかったという後悔のような思いや、これから自分は何を支えにすればよいのだろうという不安、さらにはどうしてこんなことになったのかという意味への問いなど、私たちの中にも、ごくわずかながらも、通じる思いというものはあるはずなのであって、安易な言葉掛けをするつもりはありませんが、心を共に震わせて聞くほどのことはできました。
 
地球温暖化の故に、洪水が起きるなら、人間が自分で自分の首を絞めているようなものやね――地震そのもののことではありませんが、同じ災害に関して、そういう溜息も聞こえてきます。「温暖化」は地球の長期サイクルからすれば起こり得ることであって、また必ずしも温暖化が悪であるとか、人間のせいであるとか、決めつける必要はないと思われる点には気をつけなければなりません。マスコミが危機感を増すような報道をすることは、環境ホルモンやダイオキシンなど、何かを悪者に仕立て上げがちな報道と民衆の性癖であるかもしれないので、落ち着いて考えるべきことではありましょう。いまキャンペーン中のレジ袋や、割り箸などについても、それを使うのが悪であるような決めつけをする必要は全くないはずなのですが、しかしエネルギー資源の使い方と将来への懸念という点では、確かに人間の営みが悪影響を及ぼすことを反省しなければならないでしょう。それは誰一人逃れることのできない責任問題であると共に、誰もが声を出し行動していく可能性を秘めているはずのことでもあるはずです。
 
地震の場合は、防ぎようのない面があるにしても、都市機能の備えや、助け合う心の問題や政治的措置など、改善されうる、いや改善しなければならないことは、このような辛い体験から拾い上げ、次に活かしていくものでなければなりません。地震の後、こっそり政治家のところにだけ物資が運び込まれていたというような証言も聞きました。25年前の阪神淡路での大震災のときが、ある意味で私たちの目を覚まさせ、ボランティアたるもの、災害の備えたるものについて、そして助け合う意味や何が大切なのかということを私たちに痛みと共に教えてくれたのだとすると、この熊本での出来事でそれが活かされていた面もあると共に、またここで新たに気づかされたようなことや、改善すべき段取りなどがあるわけです。今月から来月にかけてNHKのドラマ「心の傷を癒すということ」が放送されていますが、そこでは震災における心の問題が描かれています。PTSD(心的外傷)の問題が明らかになったものとして、精神科医の闘いを見せてくれます。これもまた、多くの犠牲の中から私たちに訴えられたメッセージである、とも言えるのかもしれません。
 
私たちのささやかなカフェを「今日が来るのを待っていました」と笑顔で開始時刻前に訪ねてくださった方。いつも「岸壁の母」を語りを含めて歌ってくださるのですが、まさにその歌の歌詞のように、このカフェを待ち遠しいと思ってくださるその心に、もう頭が下がるばかりです。ずっと笑顔で過ごしてくださる2時間で、2カ月の孤独を癒して帰って行かれるかのように見えました。ずっと仮設住居のままで高齢の身で暮らして来られたのですが、3月を以てこの場もなくなることを申し訳なく思うと共に、よい環境で可能な限り長く健康で生きて戴きたいと願うだけです。
 
吹き荒れる風は、また襲うかもしれません。けれども信じることが永遠の命をもたらすというヨハネ伝の一貫した呼びかけを、私たちはしばらく聴いて礼拝をしています。どうかこの冬を越えて、春の息吹を迎えることができるように、極小の信仰を少しでも膨らませる生き方を私たちもまたしていきたいと私たちも決意するものでありますように。なによりも出会った益城町の方々一人ひとりの上に、神の導きと守りがありますように、と祈ります。



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