【聖書の基本】ガリラヤ湖

2020年1月19日

行ったことのない者が、さも見てきたかのように話すのは気が引けるものです。ある牧師は、幾度かイスラエル旅行に行き、非常にその土地を愛していました。そのため逆にイスラエルツアーの添乗員の役割も果たすようなこともしていて、多くの話をしてくれ、また写真も見せてくれました。野に咲く花の姿、湖に射す光、どれも美しく感じましたが、なによりも、聖書の記事がまた別の角度から実感できるような気がして、ありがたく思いました。
 
今回の舞台はガリラヤ湖です。イエスの育った地に近く、その湖畔に、宣教活動の本拠地があったものと思われています。山浦玄嗣さんという、東北の医師ですがそのカトリック信仰を軸に、独自の聖書理解と聖書翻訳をしている方がいます。FEBC(キリスト教放送局)では自らその訳を朗読するコーナーもあるのですが、宮城県気仙沼の言葉で訳し、聖書を気取らない、生活の中の生きた言葉として伝えようとしているのです。また、福音書ついて、イスラエル各地の出身者や異邦人などが同じ標準語で話しているのでは臨場感がないとして、自身で解釈した上で、イスラエル各地を日本の各地に当てはめて、各地の方言を駆使して福音書を訳すという試みもしています。ペトロがガリラヤ訛りなどと言われるシーンが、実にリアルに伝わってきますが、そのガリラヤ訛りを、東北の言葉にしているのです。地理的にもガリラヤは東北のような位置にあり、大昔は蝦夷などと呼ばれ外国人扱いをされていました。ガリラヤ周辺は、まさにそういう扱いを受けていた場所であったことを強調するというのは、慧眼であろうと思われます。
 
旧約聖書では、ガリラヤ湖は「キネレトの湖」(民数記34:11)とも呼ばれ、後に「ゲネサレト湖」(ルカ5:1)や「ティベリアス湖」(ヨハネ21:1)とも呼ばれました。そしてもちろん「ガリラヤ湖」(ヨハネ6:1)でもあります。現在では通常「キネレト」の名が使われているそうですが、これは竪琴を表すと言われ、さながら「琵琶湖」ということになるでしょう。丘陵に囲まれ、南へつながるヨルダン川に至るところがその例外となります。南北に21km、東西に12kmほどだと言いますから、東西20km、南北10km程度の博多湾を眺めたくらいの規模だと行ってよいように思います。水面は、海面標高でいうと200mを下回りますが、淡水ですから死海とはまた違います。
 
写真などで見ると、非常に美しい様相を見せ、木々の緑と青い水面とが映える風景は見事だとのことです。農業をするには十分な雨量があり、冬もやや温暖、夏も十分な暑さがあり、植物にとってもよい環境であると言われます。よい土地もある一方、岩盤の地域は農地としては困難であることもあるようです。岩地に落ちた種が育たないというのも、ありうる土地の有様であるものと思われます。
 
「デカポリス」(マルコ5:20など)と呼ばれる町が湖の周辺にあったといいますが、それはガリラヤ湖の南のほうにあった異邦人の地域で、「ポリス」は都市のこと、「デカ」は10という数を表します(「デシ」が10分の1であることの反対)。汚れた霊に取り憑かれた人がいました(マルコ5章)。ヘルモン山が景色の中に美しく聳えますが、そこから置き降ろしてくる冷たい風が、湖面からの暖かな空気とぶつかることから激しい突風を巻き起こすことがあり、それを福音書でも時折「嵐」と呼んでいます。
 
なお、「ティベリアス湖」という名は、ローマ皇帝ティベリウスに因んで呼ばれた名です。イエスの当時の皇帝(ルカ3:1)であり、皇帝としては2代目でした。初代皇帝アウグストゥスは、クリスマスの劇で有名(ルカ2:1)ですが、その養子にあたります。皇帝に税を納めるかどうかという、あの「カエサル(皇帝)のものはカエサルに」(ルカ20:25)というフレーズは、このティベリウス帝であるのでしょう。また、最初に釣れた魚から神殿税の銀貨を吐き出したという話に出てきた魚は「ペトロの魚」と呼ばれますが、(魚のことはよく知らないのですが)マトウダイという魚であるとのことです。もちろん「ガリラヤ湖」というのは、地方の名を「ガリラヤ」というからですが、最後に「ゲネサレト湖」というのは、西側に広がる平原の名を以て呼ばれたことに拠るといいます。琵琶湖でも、「淡海の湖(あふみのうみ)」とか「鳰(にお)の海」とか呼ばれていたので、大きな土地には呼び名がいろいろあったようです。「近江」と書くのは、都から近かったことからだと言われています。さあ、私たちの教会の会堂にも、何かステキなニックネームを、つけてみるというのは如何でしょう。



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