顔を上げよう

2019年11月18日

また向こうから、歩きスマホがやってくる。実に困ります。どちらに避けようか、前を見てくれてさえいるならば、なんとなく空気というか、目線や態度で問題なくすれ違えるのですが、全くこちらを見ていないで歩いてくると、それができません。また同じ方向に歩いているときにも、周りよりひとり歩き方が遅く不規則で、どうかすると立ち止まったりもされて、ぶつかりそうになることもよくあります。顔を上げて歩いてほしいものです。
 
かつてウォークマンが出たときにも、懸念しました。あのときには視線は一応フリーなのですが、音楽に気を取られていますから、視覚のほうには注意が散漫していて、あれは絶対ぶつかったり危険だったりするぞと思ったものでしたが、いまの歩きスマホはそれの比ではありません。一応危ないですよなどとの警告は社会からもなされるようになりましたが、私に言わせれば生温い。これは明らかに危険行為なのですから、駐車違反のように、動画撮影して検挙するくらい警察は実行してもよいのではないかと思います。
 
そこまでしなくても、とお思いの方は、歩きスマホをしているのではありませんか。酒酔い運転をしている者は、自分では大丈夫だなどと思っているものです。だから運転するのです。それと同様、やっている者には、それと街なかで出会う者の恐怖というものは分かりません。明らかに、危険行為です。
 
それもですが、都会に限らず街を歩く者として近年思うことには、人が「前を見て歩かなくなった」という驚き。これが向き合って来た者にとっては実に怖い。歩きスマホに限らないのです。人と話しながら歩いていて、前方を全く見ていないなどはざらです。ぶつかりそうになります。これは百貨店や地下街などでよく遭遇するのですが、突然パッと手を挙げて指さすようなこともよくあります。怖い、怖い。
 
雨の時には、傘を前方にさして、突っ込んできます。晴れの時でも、なんとなく下を向いて黙々と突進してくる歩き方をする人が少なくありません。猪突猛進という言葉がありますが、それよりとにかく、どうしてそんな危ない歩き方が平気でできるのか、理解しかねます。向き合ってきた相手のほうが必ず避けるという信仰でもあるのでしょうか。
 
こうした歩き方をすることが当たり前のようになっている生活基準があると、たとえば車を運転するときにも、そういう姿勢がつい出ないとも限りません。脇見運転などするはずがないではないか、とお思いかもしれませんが、カーナビやスマホを見ることは要するにそういうことです。電話をしているだけで前は見ているよ、というのも、視覚への集中の度合いが遙かに減ずるとあっては、先のウォークマンと同様、非常に危ないことははっきりしています。車は1秒間に15m近くは走るのです。気づくまでの空走距離に加えて制動距離を加えるという計算は、福岡県の高校入試でも数学の二次関数(正しくは二乗に比例する関数)で出題されました。これを理解しないと運転免許は取れない仕組みになっていたはずです。今年中に、運転中のスマホ操作は一発免停となる公算ですが、ある意味で当然だと言えるでしょう。私も触りますが、必ず信号待ち停車の時です。タイヤが動けば検挙の対象となるので用心しましょう。しかし、運転しながらハンドルにマンガを置いているのや、明らかに文学系の本を開いているものを、実際に見たことがある者としては、その辺りに凶器が(狂気が?)走っているような気がしてなりません。
 
さて、歩きつつ前方を見ない人が増えたと最近気づいたのでしたが、これをもしこじつけてよいとすれば、人は未来を見なくなっているのではないだろうか、とも思わされました。経済成長の時分には、この頑張りが将来の夢につながるとか、いまのカローラがいつかクラウンになるとか、未来に希望をもつ生活がありました。いまやそういうものがありません。人は、前を見るような気持ちにさらさらなれないのではないか、と感じました。
 
他方、前方は過去を意味する、という時間観念も世界にはあります。ユダヤ人の時間感覚もそうだと言われることがあります。未来は分からないから背中のほうなんだ、と。このとき、前方を見ないで歩くのは、過去を見ないという意味になります。そう、過去の歴史を見ないのもまた怖いことです。過去を見れば自虐だとヒステリックに攻撃がくるし、過去が良かったと安易に時計を逆戻しにかかろうとする勢力もあるわけですが、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」(ヴァイツゼッカー大統領・ドイツ連邦共和国・1985年)という名言さえも忘れ去られるようになると、益々過去を人は見なくなったものかと懸念するばかりです(若い方々、もしご存じでなければ『荒れ野の40年』で検索してみてください。全文を見ることができます)。
 
前方が未来か過去かにはこだわらないことにします。とにかく前を向いて歩くという言葉があるように、顔を上げて進みましょう。天を見上げる、そこに希望が与えられます。十字架を見上げる、そこに救いが与えられます。



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