ボスと子分

2019年9月7日

変な喩えですが、十分睨みを利かせたボスのもとで生活をしている子分だとしましょう。何の仕事であるかは、ここでは限定しません。自分のアイディアも使うことは自分に関しては任させていますが、ボスの決定を覆すことは基本的にできません。ボスに逆らうことはありえなすとしましょう。時にボスは、理不尽なことを要求してきたり、不利な環境に追い詰めてきたりもしますが、子分としては、きっとボスにはボスの考えがあるのだと信頼するほかはなく、この組織を出たら生きていく術がなくなります。基本的に組織は善いことをしているというふうに子分は思っているし、ボスもそう言っています。
 
ただ、子分が調子に乗ると、いつの間にかボスの考えを踏み越えて、自分をそれより上に置くような勘違いをしてしまい、もはやそのボスの下にいる者という役割を抜け出てしまうようなこともありえます。つまり、自分がボスになろうとしてしまう虞があり、しかもそのことに自分自身気づかないという罠もあるというわけです。
 
他方、ボスの下にいれば安心だし、そこで働くことは楽しいので、ブラックだとは考えてないのが普通ですが、どうかすると、本当はどうなんだろう、と疑念が湧いてこないとも限りません。ボスは、子分のほうさえ従ってくるならば、いつまでも働かせてくれると約束してくれていますし、それを信じるならば、そうして与えられる幸福は永遠に続くとまで言ってくれています。
 
キリスト教が想定している神と私とは、いくらかこの話に似ているような気がします。



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