地蔵盆と子どもたち

2019年8月22日

京都には、地蔵盆という習慣があります。他地域でも行うそうですが、京都ではいまなお大きな大切な催しです。それは、子どものためのひとときであるという意味が強いのではないかと思われます。地蔵菩薩は子どもを救うと信仰されたためです。子どもたちが縁日を番し、数珠回しと呼ばれる、読経の際の営みがあります。京都のお子にとり、小さなころから馴染んだ、子どものためのあたたかなひとときです。普通、8月23日と24日に開かれます。
 
近年、少子化の影響もあり、京の町なかからこの集いも開催が危ぶまれていると聞きます。教会学校が危機的だと言われている、キリスト教会の子どもたちの集いのことも頭に重なってきますが、歴史性からすれば京の地蔵盆は比較にならないくらい深く長いものです。豊かな情操や精神文化の灯を消すのは忍びない思いがします。
 
時を同じくして、京は嵯峨野、化野(あだしの)の念仏寺では、すっかり観光名物にもなってしまった、千灯供養が行われます。ここには西院(さい)の河原があり、無縁仏が祀られています。夕刻からそれに一斉に火を灯し、しばし幽玄の時を目の当たりにします。芥川龍之介の名作『羅生門』は、今昔物語集を題材に、龍之介らしいエゴの追究として描いたものですが、荒廃した都に身寄りのない遺体が捨てられていた描写があります。野ざらしとなった遺体を供養したのは旧くは空海に遡るとされますが、改めていまの形に掘り出されて築かれたのはいまから100年余り前のことだと言われます。一度行きました。ゆらめく炎に、ほんとうにそこが賽の河原であるようにも思えました。
 
「ひとつ(一重)積んでは父のため、ふたつ(二重)積んでは母のため」親より先に死んだ子が、三途の川を渡ることができず、賽の河原でこう歌いながら、血に染む指でひねもす石を積んで仏塔をつくろうとするものの、鬼に毎日崩され、子どもは泣き叫び、なおかつまた石を積むということを繰り返します。親より先に死んだことで、親を悲しませた罪を嘆くことだそうですが、仏教経典の一部の句からつくられた伝説であると見なされています。
 
そもそも地蔵菩薩とは何でしょう。「菩薩」とは(このあたりはど素人の説明であることをお許し下さい)、悟りをめざして修行する人間です。悟ってしまったら「仏陀」となります。釈迦のみが仏陀となったのですが、その釈迦の入滅後56億7000万年後に登場して仏陀となるのが弥勒菩薩で、ちょっとキリストのような存在にも聞こえます。そこへいくと菩薩ならばカトリックの聖人みたいに聞こえるでしょうか。無責任に買ってなことは言えませんが。地蔵菩薩は、インドや道教の思想を背景にしているとも言われますが、かの弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救う働きをするといいます。悟りを得ながらもなお菩薩として衆生救済のために働くのだそうです。特に日本では、子どもを救う者として信仰を集めました。
 
地蔵菩薩は、六道(ろくどう・りくどう)と呼ばれる全世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救うとされます。それでよく地蔵尊は六体並び、「六地蔵」と呼ばれます。京都と大阪をつなぐ京阪電車の分岐路線として、京阪宇治線がありますが、その中央付近に「六地蔵駅」(宇治市)があります。
 
その駅から近くに、京都アニメーション第1スタジオがありました(立地は京都市伏見区桃山)。2019年7月18日朝、放火事件により多くのアニメーション関係者が命を落としました。この年立命館宇治高校が高校野球全国大会出場を果たしたため、吹奏楽部は、一回戦のときこそコンクールのために甲子園に駆けつけられなかったものの、勝ち抜いた二回戦において、京アニの「響け! ユーフォニアム」の曲を演奏したことが報道されました。
 
同じ京アニの「けいおん!」は、滋賀県豊郷(とよさと)町の豊郷小学校の建物をその高校の舞台モデルとされていたので、いわゆるアニメの聖地として多くのファンをいまなお集めています。この建物は、宣教師ではないが宣教目的で日本に来たウィリアム・メレル・ヴォーリズの手によるかつての校舎は、解体騒ぎを経て、なおも遺されています。
 
ヴォーリズは、全国各地の施設や学校などの建設に携わり、福岡では旧西南学院高等学校旧本館・講堂(西南学院大学博物館)などの建物でも知られ、またバプテスト連盟の教会はこのヴォーリズのスタイルの会堂を備えている教会も少なくありません。一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)という名で帰化して後、戦後、マッカーサーとかけあい、「天皇を守ったアメリカ人」としても知られています。
 
子どもたちのことを思う人々の心は、ずっとつながっていて、絶えることがない、と私は信頼しています。



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