カイヨワ『戦争論』

2019年8月8日

カイヨワ『戦争論』(100分de名著・2019年8月放送テキスト)
 
すでに放送は始まっています。真剣な眼差しで番組が展開しているようで、好感が持てます。しかしこのテキストがまたよいのであって、限られた時間(まさに100分未満)の番組では伝えられない内容や背景をも、十分に語っていますので、カイヨワ入門としても役立つものですが、テーマが今回は「戦争」。文化や教育への視点を提供してくれたというイメージのカイヨワですが、戦争についてこれほどの名著があったとは、不覚にも知りませんでした。
 
私は、同じ言葉を使っていても、人により、場所により、時間の違いにより、つまりは文化により、別の意味をもたせて理解しているものだ、という言語観をもっています。「戦争」という語もまさにその通りで、聖書の中に「戦争」と訳されている語を、私たち現代の「戦争」と同一のものと見る人はいないでしょう。しかしまた、同じ語で表している以上は、違うにしても何か共通の概念や性質をそこに包含させているということも言えるかと思いますが、そのかろうじて共通の事柄を以て、私たちはそれを「戦争」と訳して理解しようと努めているわけです。
 
その都度ひとが理解していた「戦争」は、かつてどうであったのか。第一回では、かつては「戦争」に人々が反対するようなことはなかった、という事実を突きつけてきます。こうしたことは、教会と戦争とを考えると一層はっきりすることであって、戦争に勝つように神に祈るという、古代イスラエル時代の戦争のあり方と、なんら変わることのないことをいまもなおやっているというところに、戦争がなくなる可能性は薄いと呆れる思いがするのですが、番組は教会のことを伝えようとしているわけではありません。
 
市民社会の形成が全体戦争を生みだし、私たち一人ひとりの人間性の中にも、すでに戦争への傾向性をもっている、そのようにカイヨワは分析しているように窺えます。その背後に、「国家」という概念がどのように理解されているか、理解されてきたか、そこへも注目することが必要だと思われます。こうして「戦争」や「国家」についての原理的・存在論的考察が求められます。番組は、カイヨワの思想の解説に留まらず、最後には、これをまさに現代に生かすことへと思考軸を運びます。私たち一人ひとりが、この問題についての責任を負い、鍵を握っていると自覚すべきだ、とするのです。
 
平和を愛する、あるいは実現することがキリスト者の使命だ、と考える人はたくさんいます。けれども、たんに「戦争反対」を叫ぶだけでは、潰されます。その潰し方くらい、為政者は心得ているからです。私たちは「戦争」を知らなければなりません。それを生みだす、私たちの側の論理をも。これは時を得た企画だと受け止めましょう。テキストを読んで、学んでみませんか。



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