あの日

2019年6月19日

2003年6月19日は、木曜日。台風6号が福岡の西を通り、その日塾は休館となりました。5月に生まれたばかりの三男が朝4時に大泣きして、私が相手をします。そのときに目が冴えたためか、三男はなんだか一日よく眠る日であったと日記に私が書いています。小学生の兄二人も学校が休校になっており、参観日も中止となりました。二人はポケモンボードゲームで午後盛り上がっていました。プラレールを広げて、ピタゴラ装置のようにして遊ぶこともしていたようです。
 
昼はラーメンをこしらえ、夜はカレー。なんと平凡な一日だったことでしょう。翌日はプール開きだというので、小学生たちも早くに休みました。台風も通りすぎ、穏やかな夜になっていました。
 
翌20日は雨も懸念されましたが、プールは予定どおり始まり、長男は25mを6回も泳いだと得意げに帰って来ましたが、次男はむっつりと不機嫌に戻りました。私はそこから仕事に出ています。そして仕事先で夜、あのニュースを知ったのでした。まさか、という報道。水曜日、彼は授業がない日なのに、次週に来ていたではありませんか。
 
毎年、この日に思い起こすことなしには、通りすぎることができません。長男と同じ年齢ですから、もし生きていればどうなっていたか、長男を思えば分かります。妹とは別々の私立の小学校でしたが、兄もどちらもカトリックのミッション系の学校でした。信仰の故、ではなかっただろうと思います。
 
4年生のときには、のほほんとした坊ちゃんのようで、勉強もあまり腰を据えてすることができていなかった。6年生になって、やる気を出したら、最高のクラスに上がり、名門中学を受験する目標が、ようやく自分のものになっていた、その矢先でした。
 
理不尽な出来事は世の中にいくらもあります。むしろ私たちが期待し、願うように事が成ることのほうが珍しいのかもしれません。神はどうしてこんな悲惨なことを許すのか、と問うことで、神を無視する言い訳にする人もいますが、なんでも自分が意図したとおりに人生が進んでいく、と多くの人が思うようになったのは、歴史的にもごく最近のことではないでしょうか。そうならないのを神のせいにする、というのは、その先に自分を正しくしようという構えがあるからのように思えてならないのですが、それでも、あの出来事が確かに刻まれている限り、私は、自分を正しくしようなどとはつゆ思わないにしても、苦しくてやりきれなくなるのです。
 
この時期には、どうしても気持ちが沈みます。暗い内容にしかならないことをお許し下さい。



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