熊本と沖縄

2019年5月14日

先週、宮崎県沖で、やや大きい地震が発生しました。熊本もいくらか揺れたと聞いていますが、幸い、揺れ自体を感じなかった人もいたということで、影響はなかったようでした。2カ月に一度のカフェを開いたのが昨日。日数で数えても60分の1だから、1時間のうちの1分に相当します。それだけの時を、せめてですが、傷ついた地の人々の笑顔が見たくて、訪ねます。
 
山々は緑が美しい。新緑の山はまた独特です。成熟した葉の色のところと、若葉の黄緑の輝きとが混在した姿を見せてくれます。大人も子どもも、お年を召した方も若者も、ひとつの場に具わっています。教会というところも、よくそのように喩えられます。なかなか若い世代が育たない、あるいは寄ってこない教会というのが多くなりました。生えたら動かない植物とは異なり、ひとは場所を移ることができるからです。
 
地震で被害を受けた方々も、その意味では移り住むことができるはずですが、実際にはそう理屈通りにはゆきません。本当は、住み慣れた元の場所がよい、という人が多いことでしょう。いまさら新しい土地へ、という勇気が出て来ない方の気持ちは尊重しなければなりません。
 
しかしまた、問題を解決するのが必要なすべてではないようです。とにかく誰かと話すこと。知っている人の顔を見ること、何かしら声をかけてもらうこと、そして自分の頭にあることを口に出し、それを聞いてくれる人がいるということ。そこに大きな意味があるのです。
 
するとまた自然に、キリスト教会というのは……という質問も出て来るし、返答にも素直に耳を傾けてくれる。私たちのほうに関心が向かうというほどに、いくらかでも心が拡がっていることの証拠と言えるかもしれず、そんな反応をうれしく思います。2カ月後にまたうかがいます、と言うと、必ず来てくれるのがうれしい、ボランティアというのがありがたいねぇ、などと正直な胸の内を明かしてくれる。いえいえ、こちらこそ来てくださってありがたいのですけれど、という気持ちを抑えて、明るくまた来ますと返事をする。そんなふうにして、また熊本を後にするのでした。
 
こちらの考えを押しつけることに熱意がある場合は、相手は心を開いてはくれないことでしょう。親や教師が、ただ命令に従わせようという意図で子に接すると、子のほうはちゃんとそれが分かります。子の言い分に耳を傾けようと努めるならば、やがて少しずつでも心の内をもらしてくれます。
 
宣教が、私たちに与えられた使命です。しかし、何かしら高いところに立って見下ろしたかのようにして、道を教えてやるぜ、という姿勢は、もうすでに見抜かれてしまっています。私は「伝道」という言葉が、そんな空気を宣伝してしまっているような気がしてなりません。
 
5月15日は沖縄の本土復帰の記念日。沖縄については、政府のみならず、教会団体としても、苦い歴史があります。ちっとも沖縄の声に耳を傾けず、ヤマトに好都合なように振る舞い、扱ってきたことに、肝腎のヤマト自身があまり自覚がありません。沖縄の声に耳を傾けなかったことについては、今の政府を単純に非難することはできないような気がします。沖縄の屈辱の日である4月28日に無関心であることについては、先日も綴りました。私自身が胸を痛めつつ、自らもその片棒を担いだ者として、果たして5月15日でさえ、どのような意味合いがあるのか、耳を傾けたいと願っています。



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