生き物との触れ合い

2019年5月2日

私の世代も、威張れたものではありません。父母の世代から比較して、植物や動物の名を知りません。生活圏から次第に自然が遠のいていることは分かります。それでも私は意識して、調べたり尋ねたりして、そうしたものに関わっていくように心がけてきました。また、それはとても大切なことだと思うので、子どもたちに自然と触れあう体験をさせて――というより一緒になってしていこうと思ってきました。
 
だから昔の人からすれば、あんたそんなことも知らないの、と言われることが多々あることは覚悟しています。それでも、たとえば教科書にあるものについては、とくに春の道端の雑草などについては、それを見たことがないとか、全く初めて写真で見た、とかいうことがないように感じてきました。少なくとも聞いたことくらいはある、と思えました。
 
それで、理科を教えていて、当然知っているだろうと思ってこれまで話してきていたことを、ふと生徒に尋ねたとき、愕然としました。
 
レンゲソウ……知ってるよね?
 
小学五年生の、中学受験を志す子どもたちがいっせいに、首を横に振りました。たしかに田圃に囲まれているとまでは言えませんが、そんなに都会の中ではない地域です。「まさか」と私は、子どもたちが冗談を言っているのかとすら思いましたが、何度聞いても、ほんとうに知らないふうでした。写真で知っているというレベルでもなく、「レンゲソウ」という言葉から、頭の中に、それがどんなものであるかすらイメージが出て来ないのです。
 
あそばない? 花で環をつくって。
 
女の子たちは、シロツメクサならしたことがある、と答えました。よく学校や公園にあるからでしょうか。しかしレンゲソウは田圃が基本ですから、出会ったこともなければ、その風景を見たこともない、といったふうです。恐らく、意識に上らせていないということなのでしょう。そして、親もそのことをどうしても知らせようとしてこなかったということなのでしょう。
 
これはひとつの例です。草花の特徴を教える前に、そもそも草花体験が欠けている。これは教える以前の問題となってしまいます。さても寂しいことだと感じます。
 
生き物と触れ合った経験。高校生になった息子が生物の課題で、それをレポートするように言われました。息子は思い返して、小さいころから公園や幼稚園の帰りなどで、私に連れられて草花や虫などと触れ合ったことをまざまざと思い出したそうです。妙に感謝されたのですが、私はそれが当然親が子にしてやれることだと思っていたし、特別なことだとは何も考えていませんでしたから、改めて言われると不思議な気がしました。でも、自分なりの信念から子どもにしていたことが、間違ってはいなかったのだなと分かると、少しほっとするのでした。



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