『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』

2019年4月28日

昨年秋の末に、満を持して(?)世に出た、話題の本。個人的な懐具合もあって買う必要とのバランスで見送っていましたが、評判もよいし、読んでみることにしました。以下、一昨日の記事の約束を果たすための記事です。
 
ツイッターのフォロー数が、本書の発行時昨秋で7万と印刷されていますが、いまあとわずかで10万に届きます。芸能人並に、教会が聖書の話題を発している呟きが拡散されていることになります。チラシを蒔いても10万枚は用意できないでしょう。またチラシを読む人はそのうち何百分の一か知れません。しかしツイートは、自らフォローした人のところへ自動的に流れていきますから、格段に読まれ方が違うでしょう。
 
中には、このツイートを見て、教会に行ってみようと思った、実際に行った、という声が多々あります。当該の上馬キリスト教会に行った人も多いし、東京にいない人は近くの教会という例も見られます。そうした声がまた呟かれていますから、これはただの噂ではありません。
 
上馬キリスト教会の礼拝は、プロテスタントとしてはオーソドックス(正教会の意味ではなく)で、新改訳聖書を使うメソジスト系の、どこか旧態依然とした礼拝形式のはずです。しかし、知名度が高く、実際に訪ねたり、聖書に関心をもったりする若者がどんどん増えている。
 
この現象をどう考えるか、自分の教会やクリスチャン自身が自分の問題としてどう受け取め行動してみるか、そこが問われているように思えてなりません。
 
ただ面白おかしく情報を出せばよいというわけでもないでしょう。上馬キリスト教会の声でも、よく見ると聖書の深いところを、ただ当たりがよいように、届くように書いていることが分かります。そして活字の形でまとめた本書も、140字という制限を外しただけなので、語りかけるように、そして誤解を招かないようにかなり配慮をしながら、けっこうストレートに、教会の「教え」を盛り込んでいることが、実際読んでみると伝わるだろうと思います。
 
たとえば塾や学校で、授業において、たとえを使うことがあります。分かりやすく、生徒の身近な経験や見聞きすることになぞらえて、事柄を理解してもらおうとします。教会の礼拝説教でも、そうした工夫はなされているだろうとは思いますが、それでも聖書を知らない人には届きづらいものです。本書やそのツイートは、それが届く形を見せてくれているような気がします。この通りに他の教会もすればよい、というものではないでしょうが、大いにその立場や視線は参考になります。
 
要するに、自分を変えなければ、事態は変わらないということなのでしょう。ツイートをして、この本をつくった二人も、それを意識しつつものすごく努力しています。あまり表にはそれを出しませんが、ある取材ではそのあたりを正直に語ってくれていました。思いつきやただのギャグ精神では、こうはいきません。そして二人も変な言い方ですが、そうとうに頭脳の鋭い方々です。この教会の牧師という方も、別段とびきり突き抜けた方であるようなふうではないように見えますので、本書に直に触れて、何が教会からの発信に耳を傾けさせているのか、学ぶことは、たいへん重要なことではないかと考えます。
 
そういうことで、本の内容については具体的に一切ここでは触れませんでした。あとは実際に、各教会が心を開くかどうか、というところです。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります