JR尼崎事故

2019年4月24日

もちろんすべての事件や事故を覚えているべきだなどと言うつもりはありません。ただ、その人にとり忘れられない日というものはあるわけで、また大きな出来事として多くの人に覚えていてほしいと思う日もあるでしょう。4月25日という日は私にとりそのひとつで、JR福知山線、と言っても「鹿児島本線」が博多を通るようなもので、福知山というのは現場とは正反対の遙か彼方の拠点であって、事故現場は尼崎でしたが、そこでJR史上最大の惨劇として記録された事故が起こりました。2005年のことでした。
 
NHKの「事件の涙」という番組で、4日22日夜、この事故の関係者である夫妻への取材がまとめられていました。直接亡くなった方ではありません。あの電車に乗り合わせて、助かった男性と、その妻です。いわば、幸いを得たと傍から見られるような方だったのですが、直接事故に遭遇していない妻の心が、壊されたというのです。
 
山村部に引っ越され、新たな活動をされていますが、大坂の教会には通い続けているとのこと。あの事故現場の横を――一応視野に入らないようにいまは配慮されているそうですが――通りながら。そのシーンと、そしてパイプオルガンを弾いている姿が放送されていました。ひとの心を思いやり共感する心が豊かであるからこそ、傷ついていったのではないか、とも思います。
 
他人の命などどうでもいい、と事件を起こしたり、事故につながることを平然とやっている人がいます。もちろん自分も例外ではないつもりで、しかしだからこそ発します。スマホをいじりながら運転をしたり、エスカレータを走り降りたり、歩きスマホをしたり、歩きタバコをいまだにしていたり、そんなことが、どれだけ人の心身を傷つける――殺す――ことになることへつながるのか、想像力をひとは無くしているのではないか、と案じるのです。   その方のtwitterをリンクしておきます。



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