十字架

2019年4月18日

以下、残酷で不快な表現をとることがあります。そういうものを読むのがお嫌いな方は、どうぞこの後の文章はご覧にならないほうがよろしいかと思います。品のない表現はとらないつもりですが、それでも、十字架という死刑の内容について、あまりぼかさない書き方をすることになりますので、ご理解ください。
 
十字架刑はイスラエル由来の刑とは言えず、古代フェニキアなど周辺諸国で行われていた刑のようで、ローマ帝国はこれを引き継いだのではないかと見られています。十字形やT字形、X字形などの種類があったことが分かっています。
 
国家反逆のような、帝国にとっての重罪に適用され、またローマ市民権をもつ人は除外されたと言われています。イエスへの処罰は例外的に重かったと思われます。
 
長い歴史をもつものであり、広い範囲で執行されました。反逆と見られれば一味が何百人と架けられることもあるし、単独ということもあったでしょう。見せしめの要素が強く、その都度様々な形態があったと考えられます。手足を釘打つとはいっても、よくイメージされるように掌や足の甲というのが本当にそうであったかどうか分からず、手首だったとか、足は台の上に縛られていたとか、諸説ありますが、おそらくいろいろあったのではないかと推測します。ただ、実際掌だと肉が裂けて体が落ちてしまいますから、後述するようにぶら下がった状態を保つためには、手首から腕にかけての骨の間を留めたというのが通例ではなかったかと思われます。足も同様に、留めるならば踵で、実際そうした骨が発見されているケースがあるようです。しかしまた、それでも体を支えられるだろうかという疑問もあり、また発掘例からして、必ずしも両手を拡げた形とは限らないとか、いろいろな磔の形があった模様です。見せしめの刑ですから、時代や地域により、様々なスタイルがあったと考えたほうが適切なのでしょう。エホバの証人のように、「杭」という語に固執して、一本の木に括られていたに違いないので、十字の形を考えるのは聖書的でない、とまで言い張る人々が現れる所以です。
 
苦痛を長引かせるという意味で、人類史上最も残酷な刑の一つだと見られます。何が苦痛なのか。釘打たれたのはもちろん痛い……などというものではないくらいのものだったことでしょうが、ここであまりイメージされていない捉え方をシェアしましょう。恐らくこの刑による死因は、窒息死ではなかったか、と考えられているのです。呼吸をするには横隔膜の伸縮が必要ですが、はりつけにされた状態ではこれが困難になります。少しでもボディを持ち上げようとすることになるでしょうが、それもなかなか適いません。そうすると、呼吸困難に陥ります。この苦しみを自ら死へと至らせることもままならず、絶命までには半日あるいは数日かかると考える人もいます。
 
この長期の苦しみを味わわせるためには、宙ぶらりんの形でぶら下がっていることが必要です。だから、手足が外れてはならないわけです。足が台の上で中途半端に支えられているとさらに長引くでしょうから、台付きというのは必ずしも恩情に基づく措置ではなかったと思われます。中には腰も台の上に載せて安定させていた例も見出されています。手首でも裂けたりしたのでしょうか。また、イエスは足の骨を折られなかったとありますが、それはもう死が確認された故と記されています。足の骨を折るというのは、それにより体を支える部分が手首だけとなり、より早く絶命に至らせるということになりましょうから、実は折ることは恩情だった、とも考えられます。
 
しかしまた、本当に窒息が死因なのかどうか疑う声もあります。きっと医学的な説明がなされているのでしょう。私にはそれを理解する能力がありませんので、風の噂ということで勘弁して戴きたいのですが、たとえば、そもそもこの木に架けられる前に、40回殴られたら死に致ると考えられた鞭をイエスは受けています。錘の付いた鞭のようですが、この段階で相当なダメージを与えられており、だから自分の杭を背負って歩くことさえままならなかったと言われているわけです。恐らく脱臼は免れず、すでに内臓出血などがあっただろうと想像されます。脱水症状や出血性ショックがあり、架けられる以前からすでに生命維持の点で危機状態に陥っていたのではないでしょうか。胸水などといって、心臓など内臓周辺に水が溜まるという現象は十分考えられるのであって、そうすると、ヨハネによる福音書には、イエスのわき腹を兵士が刺したといい、そこから血と水が流れ出たという場面も描かれていますが、これも一理あることにもなります。たしかにこれは、ヨハネがその名の手紙にも載せているように、何かしら象徴的な意味がこめられているとも考えられますが、実際にありうるとなると聖書の記述が如何に正確であるのかを証拠立てることにもなるでしょう。この出来事はトマスの疑いの布石となっており、ますます聖書は一貫した取材とよく寝られた構成で書かれていることかと改めて感動します。これが、早く絶命させるためのものでないことは、すでにイエスが息を引き取ってからの記事なので、確かです。が、よく読むと、イエスはもう死んでいたので足を折らなかった、とありますから、他の二人の足を折ったということは、この二人はまだ息があった、ということになり、これで絶命させ、安息日に遺体を残さないために死を急がせたという意味になり、これもまたそれなりに理解が進みます。
 
このあたり、歴史的な研究もいろいろなされていますし、諸説ありますから、私の聞き知ったことだけですべてとせず、関心がおありでしたらぜひ調べてみて、発見があったらむしろ教えてくだされば幸いと思います。
 
十字架はキリスト教会にはなくてはならないシンボルでもありますし、アクセサリーとしてオシャレに扱われていますが、このような世にも残酷な死刑台であったことを思うと、まるでギロチンの飾りを胸に提げているようで、実に忌まわしいものだという気がします。
 
しかし教会にとっても、十字架は当初はちっとも象徴ではありませんでした。このように十字架は忌まわしいものです。イスラエルの律法でも、木に架けられたものは呪われるとされ、敵の将を射とったとき、その体や首を晒しておくというのもこの流れであるかもしれません。だから、イエスが十字架刑になった後、神に呪われた者の行く末だと見られていたことは想像に難くありません。これは今でも、こどもにキリストの話をすると、十字架のことを聞いた子がしばしば、どんな極悪人だったからそんな酷い刑に処せられたのか疑問に思うことからも分かります。
 
忌まわしい十字架に救いを見出したのは新約聖書という文献上ではパウロの手紙が最初です。よくぞここに救いを覚えたのか、考えてみれば不思議です。その酷さ、惨めさ、弄ばれしかも抵抗もなく屠られる動物のように引き渡されて死んだイエスが実は救いであったというパウロの驚愕は、パウロ自身の運命をも変えてしまいました。私は密かに、そこに、パウロ自身がイエスのこの死刑になんらかの関わりを感じていたに違いないと見ています。歴史的にどのように関係していたかは分かりません。しかし意識の中で、この公的な正義をうわべで装ったリンチ的謀殺は自分のせいであると捉えていた心理があるのではないか、と想像するのです。なぜならば、私自身がそう捉えていて、それが私の信仰だからです。
 
ではいつから十字架が教会の中でシンボルのように扱われてきたのでしょうか。歴史的に調べる限り、どうも4世紀以前にはそのようなふうではなく、ずっと忌まわしいものと扱われていたようです。だから、新約聖書の記述そのものも、そのような意識の中で記されていたことは間違いありません。だから聖書を読むときに、十字架という言葉を見て、私たちのいまもつイメージで、輝くもの、救いの栄光、などと軽々しく見ないほうが賢明です。少なくとも書いた当人は、そのような思いをこめて書いたのではないと思われますから。もちろん、その酷さの中に神の愛や救いがもたらされた、というのが信仰でもありますから、受け取ることは大切ですが、笑顔いっぱいで、十字架ハレルヤ、とどんちゃん騒ぎをするのはどうしたものか、と。
 
ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が313年、ミラノ勅令によりキリスト教を公認したと言われています(もちろん背後には様々な動きがあるでしょう)。この皇帝の夢に十字架が勝利のしるしとして現れたという伝承があります。また、その母ヘレナがエルサレムを巡礼するときに十字架の遺物を発見したという言い伝えもあり、このことがたぶん大きなきっかけになっていくのではないかと想像されます。このころのローマの刑罰がどうであったのかは知らないのですが、おそらくあのイエスの頃の十字架刑の残虐なイメージがさすがに三百年もたつと薄れていった、ということなのでしょうか。
 
贖罪論についての論議があります。十字架を私が神に差し出して、いともかんたんにさわやかに、私のやった悪いことが赦されました、感謝です、などというのが贖罪論であれば、私は賛同できません。しかしまた、贖罪にまつわる一切が嘘だ、とする極端な意見もまた、もしもその考えが自分には罪などない、という腹からそれが出ているのであれば、到底賛成できません。少なくとも、私はそんな気持ちにはさらさらなれない。
 
このあたりのことは、また改めてどこかで説明をしなければならないでしょうが、結局言いたいことは次のようなことです。
 
キリストは十字架に「つけられた」とよく聖書に書かれています。「つけられた」で素通りするとは、何と無責任な読み方であるか、と私は思います。「ガラスが割れた」でも私はどうかなと思います。誰かが――えてして自分が――割ったのなら適切かもしれないけれども。そのように、十字架に、誰が「つけた」のでしょうか。ユダヤ人? ローマ兵士? そんなところに何の救いがありますか。他人が殺した死刑囚を、どうして私の救い主だと言うことができるのでしょう。あくまでも私は、この私がイエスを殺害した、という特異点から、私と神との関係は締結されているという実感があるので、何とか論云々などというふうに聖書や神学を「観察」するのとは正反対の態度で、置かれた場所で目の前に与えられた一歩を進ませて戴いてといる、そうしたいまこの時にいるというわけです。愛のない私に希望を与えてくれたのは、この点にしかないのですから。



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