酸いぶどう酒

2019年4月14日

2019年2月号と3月号の『福音と世界』で、連載記事「遺跡が語る聖書の世界」(長谷川修一)に、「ワイン」の解説がなされていました。非常に興味深い記事で、楽しく読ませて戴きましたが、この十字架の場面に「酸いぶどう酒」というものが出て来ます。気になるので、この連載記事を追う形で、ワインについて考えてみましょう。
 
最古のワインの醸造地は決定していないが、黒海東あたりであったことは間違いないと言います。野生ブドウの原産地であり醸造施設の遺構が見られるからです。創世記でノアがぶどう酒に酔う話もその反映でありましょう。洪水物語は、たとえばギルガメシュ叙事詩にもありますが、この酩酊騒ぎの記事は、他には類例を見ないのだそうです。
 
大地の恵みを噛みに感謝する習慣は広く見られますが、民数記の献げ物の規定で祭壇に注ぐものはおそらくこのワインであっただろうといいます。原語でそうは書かれていませんので、説明で「ぶどう酒」と付け加えて訳している箇所(民数記28:7)もあるそうです。
 
ロトが自分の娘と交わった時にも、ワインに酔わされてということでぶどう酒が登場します。けしからん罪のようですが、律法には不思議と、実の娘と交わってはならない規定はないのだそうです。律法成立以前の物語とはいえ、これを律法で裁く理由は、とりあえずないのだといいます。
 
ワインは近年ポリフェノールの効用が強調されもし、健康的な部分もあると見られていますが、もちろん過度の飲酒は健康を損ないます。但し、聖書が戒めているのは、健康のことではなく、社会的な地位を失うであろうということばかりです。
 
ワインという語は、ラテン語以来殆ど変わらずに各国で受け継がれているそうですが、ヘブライ語では「ヤイン」のように言いますが、これも音韻の性格上、ワインとつながっていると見られます。いまなお私たちは、聖書の時代と違わないワインと親しんでいるし、教会の聖餐のワインもまた、同じように続けられている伝統が確かなものとして感じられます。
 
古代のワインは基本的に赤ワインであったと考えられます。果実を潰して採れる果汁を、果皮や種と一緒に発酵させて作ります。果皮にはもともと発酵に必要な酵母が付着しているので、酵母を加える必要がないのだそうです。自然発酵したものを人類が見つけた、と想像できるかもしれません。
 
箴言23:31に、酒が「赤く」輝くとあるし、最後の晩餐では「ぶどうの実から作ったもの」が「わたしの血である」と言っていますから、赤ワインであっただろうと推測されます。しかし、ツタンカーメンの墓から見つかった壺には白ワインが入っていたと分析されていますから、そのエジプトへワインを伝えた中東に白ワインがなかったとする理由もありません。少なくとも品種は、中東のブドウであったことは確実です。
 
パレスチナ人は古代、遺跡から出土する土器に、ワインとの関連が見出されるものが多々あるといいます。ワインと水を混ぜるための器が見つかり、ワインは水で割って飲むものだったと考えられます。古代ギリシアの『オデュッセイア』にもそういう場面があるそうです。ヘレニズム期の旧約聖書続編・マカバイ記二15:39でも、ぶどう酒と水とを混ぜることがよいと描かれ、この飲み方が普通であったであろうと思われます。
 
兵士たちにとり、ワインは必需であったと見られています。水で割るので、酔うのが目的ではなかったのかもしれません。哀歌2:12で幼子が母親に「パンはどこ、ぶどう酒はどこ」と尋ねて死ぬ場面がありますので、子どもでも飲めるものであった可能性があります。
 
考古学者は、ブドウを踏んで果汁を絞る酒槽(さかぶね)も発見しています。岩盤に、2つの水槽が彫り込まれていました。上の水槽にブドウを積み上げ、果実を足で踏んで潰すときに出た果汁が、導水路を通って下の水槽に溜まります。そのまま放置すると、果皮に付着した酵母により果汁が自然発酵し、ワインになるのです。空気中の酸素に触れると酸化してしまうので、石灰などを混ぜて、表面に膜を作り、酸素を遮断したようだということです。
 
ワインは壷に入れます。発酵時に発生するガスのため、密閉してしまうと壷の破損につながります。粘土でできた壷の栓には穴を開け、ガスを抜く仕組みになっていたようです。このような製造工程は、エジプトの壁画からも確証されています。
 
ワインは宴会に欠かせない飲み物であったはずで、カナの婚礼の記事がそれを証言しています。王侯は、金属製の器で飲んでいたことも分かっており、たぶんそれは濾したワインだったことでしょうが、庶民はにごり酒だったのではないでしょうか。ギリシアでは現在、樹脂やハチミツで味付けや香り付けをするそうですが、果たして古代はどうだったでしょうか。
 
ここまでが『福音と世界』の記事内容です。
 
酢はフランス語でビネガーのように言いますが、これはワインの綴りを含んでいます。意味は「酸いぶどう酒」です。聖書協会共同訳では、兵士が十字架上のイエスに飲ませようとしたものについて、訳としては「酢」としながら注釈で「ワインビネガー」と記しています。酢酸菌がぶどう酒に入るとアルコール成分が酢酸に変わります。庶民はこうした酸っぱいぶどう酒を飲んでいたのかもしれません。しかしそれは酢がそうであるように、殺菌力が強く、兵士が携行する食料としても有用でした。日本の戦国武将が梅干しを携行していたのと並行的です。少なくとも、十字架のイエスの口に飲ませようと、スポンジに含ませた酸いぶどう酒をすぐに走ったのが兵士だったという背景は、これで理解しやすくなります。
 
果たしてイエスはこの「酸いぶどう酒」を飲んだのかどうか。マタイの「飲ませようとした」あたりは未完了ですから、飲ませようとし続けた風景が似合います。すると、実際は飲んだという明確な叙述を得ないので、飲まなかったのかとも思われますが、ヨハネによる福音書は「受けた」とアオリストで確かなことと示していますので、こちらを信用すれば飲んだという意味になるように思われます。
 
しかし何故イエスに飲ませようとしたのでしょうか。苦痛を和らげようとする恩情だとする理解もあります。一種の麻酔薬のような。けれども、「十字架」の項で詳しく触れますが、死のうにも死ねず苦痛を長引かせるのが一つの目的であるような十字架刑において、その時間を長くさせる可能性の高いこの行為が、そしてさして麻酔の役割も果たせないこの行為が、恩情であるかというと、私はどうも疑問が残ります。
 
注目すべき発言があります。ルカによる福音書では特徴的に、次のように証言しています。
 
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」(ルカ23:37)
 
王様がぶどう酒を贅沢に飲むように、ユダヤの王を自称するなら、酒宴でも楽しみたまえ、とからかった可能性を、私は読み取ってみたいと考えています。兵士は酸いぶどう酒をいつも持ち歩いていましたから、本当のぶどう酒を飲む王に対して、酸っぱいやつでも代わりに飲んどけ、という調子ではないか、と。もちろん、これは解釈です。十字架のまわりには、もはやイエスの敵しかいませんでした。唯一、隣にいた強盗の一人だけが、イエスを認めていたのがせいぜいのところであるとして。
 
なお、十字架に架けられる寸前に、マルコ15:23が「没薬を混ぜたぶどう酒」を飲ませようとしたことが書かれていますが、聖書協会共同訳では、これの注釈に「ミルラ」を記しています。ヘブル語やギリシア語の音に近く、またもしかするとミイラの語も関係があるのか、とも考えられています。マタイ27:34では同じ場面で「苦いものを混ぜたぶどう酒」と表現されていて、聖書協会共同訳では「苦いもの」は注釈にまわし、訳としては「胆汁」としています。なお、ルカにはこの記事がなく、またヨハネは十字架の前後にこのようなぶどう酒関係の記述がありません。
 
新しい訳はこのように、別の訳や注釈を入れ、また動植物関係ではとくに新しい研究による、今に相応しい表現が工夫されていますから、細かなところまで見ると面白いことがあります。「なんだ、この調味料なだったのか」などと。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります