こどもへのメッセージへの小さなヒント

2019年4月6日

それがひとつの説教であるなら、一般の説教と、基本的に差をつける必要はありません。また、通常の説教が誰にでも簡単にできるのではないのと同じように、こどもに話すから簡単だというようなこともありません。こどもの性質を認知し、こどもに分かる言葉で語る知識と配慮がなければ、伝わりません。むしろ、こどものためだよと宣伝しておいてちっともこどものためにならず、大人ウケを狙って話すようであるなら、有害であり、そんな話ならしないほうがましだと言えます。大人が聴衆であれば、政治家仲間にウケる話ばかりする選挙演説を聞いていられないのと同様です。
 
こどもにであろうが誰に対してであろうが、神の言葉を語るその場は、「神の言葉がもたらされ、人の心の中で、あるいはその人を動かしてそれが現実化する」ための場であり、また、「神の言葉たるイエス・キリストとひととが出会う」場でもあります。こどももまた、おとなと同じひとつの人格として、魂として、神の前に立つ者だと思います。
 
こどもに聖書のことを話したとき、こどもたちはそれをどう受け止めたでしょうか。この質問に対して、語った者はどのように答えるでしょうか。もしそんなことを意識せず、自分はこれだけ話したのだ、という自己満足で終わるようであってはなりません。こどもたちに何が伝わっただろう、その子はどういう魂の状態でいただろう、という点を第一にしないと説教ではありません。それが目的だからです。
 
そこにいるこども皆に語るのが説教でしょうか。いいえ。画一的な「こども」など世の中にはいません。いるのは、そこにいた、名前をもつ一人ひとりの魂です。
 
しかし、こどものほうをあまり見ないで話していることすら見受けられます。こども説教はこどものためのもの。こどもへのメッセージの間、こどものほかに目を向ける対象がどこにあるでしょうか。
 
こうしたことは、先にも挙げた、選挙演説を例にとると、私たち大人にも少し分かりやすくなる場合があります。聴衆に目をやらず、党の親分の顔色をうかがうばかりできれいごとを喋っている候補者に、投票しようと思うでしょうか。また、真摯に住民なり国民なりのためを第一に考えているという熱意が感じられない演説には、失望こそすれ、期待はしないのではないでしょうか。
 
こどものための言葉は、こどもに分かる言葉です。それがこどもに伝わる言葉です。こどもの理解できる語彙や話し方が求められます。もちろん年齢層が幅広いでしょうから、幼稚な言葉だけだと高学年の子は退屈するかもしれません。しかし、こどもの顔を見ていれば、いまどの子が理解できていないか、察しがつきます。そのためにも、こどもの顔を見なければならないのですが、ともかく言葉は、すかさず言い換えをするとか、短い文を心がけるとか、こどもの理解能力を念頭に置きながら話すものであり、そのとき実は幼稚園あたりから小中学生あたりまでは、同じ場でカバーできることを私は経験的に知っています。
 
意味を知らないおとな言葉がいくつも出てくると、こどもは、この話は自分のためのものではない、と判断します。するとこどもは、後ろを向いたり、話を始めたりするのです。難しい政治用語や経済用語を並べて話す選挙演説が続くと、私たちも横の人と話を始めるのは当然ではないでしょうか。
 
こどもの心を引きつけるということは、そのこどもがそのお話の世界に結びついているということです。結びつけるのは言葉であり、語る者の心です。君に話しているんだよ、君に伝えたいんだよ、という熱い心があれば、こどもにはきっと伝わります。きょろきょろする子は、その子が落ち着きがないのではないのです。その子に話しかけていないのです。おとなを気にして話をしていることは、こどもには敏感に分かるのです。
 
もちろん、小さなこどもだと、5分間以上の集中を期待することはできなくなります。多少は体験的にでもよいですから、相手を観察し、また知ろうとして見つめていないと、こうした基本的なことにすら気づかず、自分はちゃんと話した、よい話ができた、と有頂天になっている無惨な結果になっていること、そしてそれを知らないというさらなる不幸が起こります。そうして、こどもを無視した大人本位の物語を再生産していくのです。
 
一人ひとりのこどもは皆違います。十把一絡げに、こうすればよい、という方策はありません。ひとはマニュアルどおりには動きません。それでも、何も知らないよりは、知っていたほうがよいのです。そして、相手に福音が伝わるようにとせっかく時と場が与えられたその恵みを無にしないように、心熱く、相手本位で、命の言葉が届くように祈りつつ、語らせて戴くのです。
 
それは、すべての説教というものが、そうであるだろう、とも思います。



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