オリンピック

2019年3月31日

聖書の中でスポーツという言葉があるはずがなく、とくに旧約聖書の舞台では、それに見合う考え方もとんと見られないとしか言いようがありません。しかし、新約聖書には、それが登場します。パウロは節制の必要のため、コリント教会へ向けて次のように書いていました。
 
競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。(コリント二9:25)
 
また一定のルールに従うことの必要性を示す例のようにして、こんな表現もありました。
 
また、競技に参加する者は、規則に従って競技をしないならば、栄冠を受けることができません。(テモテ二2:5)

 

こちらは直接パウロの手によるものかどうかは大いに疑問がもたれている書簡ですが、パウロの精神を受け継いでいると理解されます。先のコリント書にあった「競技」の語を用いた描写をしています。
 
つまり、新約聖書の時代には、ギリシア文化が中東に流れこんでいました。ローマ帝国は、実学に長けたローマ人により建設され支配の手を伸ばしましたが、文化においてはギリシアこそ第一であるとの理解が一般的でした。スポーツ競技においても、ギリシア文化をの尊重してのことと考えられます。
 
古代ギリシアでは、オリンピア競技と称する、競技大会が開かれていました。ご存じ「オリンピック」はこの古代ギリシアの祭典を現代に復活させたものです。オリンピアはギリシア南部の都市の名で、ここでギリシア神話に基づき、紀元前8世紀以来、ゼウスに捧げるという名目で、競技会が4年に一度、300回近く開かれました。いまなお近代オリンピックの聖火は、この地で採火された火を持ち運ぶという儀式を行っています。
 
神聖なこの競技期間中は、争いをすることは禁じられ、期間中とその前後は、すべての戦争は休戦となりました。男神ゼウスということからか、競技はすべて男に限られ、全裸で行うこととなっていました。出場はおろか観戦も女性は許されず、息子の活躍を一目見ようとカリパテイラという母親が観客に紛れ込み、見つかって処罰されそうになったが、一族に競技の勝者が多かったために免除され、そのかわり観客も裸体になるようになった、などというエピソードが伝えられています。但し、女性神官は見ることができたのではないか、などと細かな研究もありますから、関心がおありの方は探してみてください。
 
伝染病の蔓延に対して神託をうかがったギリシアの一部エーリス国の王が競技会の実施を促され、スパルタ国との間で話がついたのが始まりだといいますが、次第に諸国を巻き込み、大きな大会になっていったのだそうです。これは神事であるが故に、ギリシア全土で一旦協定ができると、これを破った国は外交的にも不利益をくらうため、停戦協定は有効であったと言われています。勝者にはオリーブの冠が与えられ、それだけではありましたが、名誉なことと考えられました。パウロは「冠を得るため」なのが永遠の冠でなく朽ちる冠だと指摘していますが、逆に言えばこの冠はやはりこの世で最高に名誉なものであったことになります。勝者は神殿に神とともに像が祀られたのだそうです。
 
しかし国の名誉であるからとして、しだいに勝者には褒章が増していき、不正行為が現れるようになっていき、オリンピア競技は衰退していきました。現代でも考えさせるものがあるように思います。さらに、ギリシア文明を受け継ぎ、ギリシア神をそのまま名前だけローマ帝国読みにして換えたローマ帝国が、392年にキリスト教を国教とすると、異教神殿破壊令が出され、393年の大会を最後に競技会は千年の歴史を閉じることとなりました。キリスト教がその後も、世界各地で文化や文明を滅ぼすことをしたことは歴史が教える通りです。現代ではそれほどの力はないかのように見えますが、イスラム諸国を報復攻撃するなどの行為を見ると、決して昔話や他人事ではないと感じます。
 
しかし実は、旧約聖書続編の中には、こういう話も書かれています。ユダヤの大祭司ヤソンがその地位を手に入れるために、シリアに金を渡し、生活文化をギリシア風にするという、ユダヤ教からすれば暴挙を行いました。そしてギリシア文化を積極的に取り入れるばかりか、強要するようなことまでしたというのです。
 
こうしてギリシア化と異国の風習の蔓延は、不敬虔で、大祭司の資格のないヤソンの、常軌を逸した悪行によって、その極みに達した。その結果、祭司たちももはや祭壇での務めに心を向けなくなり、神殿を疎んじ、いけにえを無視し、円盤が投げられて競技の開始が告げられると、格闘競技場で行われる律法に背く儀式にはせ参じる始末であった。(マカベア二4:13-14)
 
ギリシアの競技を、神殿行事よりも優先したというようです。ヤソンという名はヘブル語ではヨシュア、つまりギリシア語表記でイエスだともいいますから、如何にありふれた名の一つであるとはいえ、なんとも気分が悪い思いがします。
 
パウロ(とその関係者)は、神にご褒美を戴くイメージをもち、先に挙げたほかにも、たとえば義の栄冠(テモテ二4:8)のようなシンボルを、こうした競技会になぞらえて表現しています。また、賞を目指して走り抜くように、と次のようにも書いています。
 
あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。(コリント一9:24)
 
この「競技場」と訳されている語はギリシア語(英文字綴り)で stadion です。現代語ではこれは stadium 、つまりスタジアムという名で使われています。人が立つところでもあり、観客席は「スタンド」とも呼んでいます。
 
そしてこの stadion ですが、新約聖書に6度登場します。うち2度は黙示録での幻ですが、他は湖の上での距離と、エルサレムからどのくらい離れた距離にある村であるかを示すために使われています。ベタニアは15スタディオン、そしてルカの復活の物語として、エマオが60スタディオン離れていると記されています。残念ながらこのエマオという名の村については、温かい井戸という意味の響きがあることのほかには、あまり確かなことは分かっていないのだそうです。
 
1スタディオンは、一般に180mくらいだとされていますが、どうも日の出から、太陽が完全に地表に出るまでに人間が歩く距離という定義があるようです(諸説あり)。ユダヤ紀元ではなく、バビロニアからきたと言われています。恐らく2分程度の時間で、その間に歩くのが約180mだということですが、これをいわば50mプールのようにコースとして走る競技が行われたのだそうです(スタディオン走)。なんでもぶつかったり倒したりもアリだったとか。さらに長い距離ならば往復することになります。遺跡を発掘すると、競技場によりさすがに微妙な差異があるということですが、概ねこのくらいであるわけです。要するに、このコースが設けられていたのが競技場、つまりスタジアムだということになり、長さの単位とスポーツ競技場とが同じ語で表されていることの、理由なのです。



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