受験する側なのだから

2019年3月25日

学習塾というところは、目的を特化した教育機関ですから、成績アップや受験合格をひたすら目指すわけではありますが、必ずしも一部の人が想像するような、歪んだものではないだろうと思います。高い費用を戴いてお預かりしている以上、目的は第一ですが、陶冶すべき子どもたちでありますから、人格的な扱いは当然ですし、目的に沿った流れの中で、かなり人生論を扱ったりします。却ってひと目を気にした配慮が少ないぶん、そして接触時間が限られている事情もあり、本音に近いところでずばりと切り込む傾向にあるのではないでしょうか。実際生徒の口からは、塾の教師に対する信頼の声が強い様子もしばしば見られ、学校の対応への不満を保護者に打ち明けられることもよくあります。もちろん、塾は学校に最大限の尊敬を払い、丁寧に原理を教えるということによって、塾の手の届かない部分を支えてもらっているという感覚も具えているつもりです。
 
さて、例によって長い前置きでしたが、塾とて、接する時間は学校ほど多くないわけですから、授業の場で何もかも全部教えるということは事実上不可能です。また、その必要もありません。要は、生徒をやる気にさせ、モチベーションを与えるという部分が大きいわけです。考えるときのこのきっかけを与えておけば、家で本を見ても意味が分かるであろう、そうした鍵になる点を教え、説明することになります。極端に言えば、生徒を自ら勉強する気にさせるのが第一だということです。
 
それには、きまりきった方法があるわけではありません。少しのヒントでやる気を得る子もいれば、よほど強く言わないとそうならないタイプもあります。一人ひとり違った錠前で閉じられた扉のようなもので、別べつの鍵を用意して合うものを探し、差し込むという、地味なことをするばかりです。だから、その子の性格や特質をいち早く見抜くことが肝要です。鍵が見つかれば、こちらの風をその子の心に吹き込むこともできるのです。
 
生徒が受験を目指します。あるいはその保護者がそうさせるというのも、中学受験の場合はありがちですが、どうであれ、受験生は、自分でどのような学習法を身に着け、実行するのでしょうか。
 
結論からいえば、その子なりの方法があるだろうということになります。同じテキスト、同じカリキュラムで同じ問題を解くにしても、出来具合から覚え方、ミスへの対処や学習環境、方法に至るまでとにかく千差万別です。Aという子にとって絶対的な良い学習法が、Bという子に当てはまるわけではありません。また、同じAという子の学習法も、去年の方法と今年の方法とは違うかもしれませんし、社会科として一括りになっていても、地理の場合と歴史の場合とでは自分としても違ったやり方が合うということもあるでしょう。
 
俺はこの勉強法が一番だと思う。だからおまえも絶対この勉強法をやれよ。それしかないよ。
 
そんなことは、言えませんね。参考にはなるかもしれないから、勉強法を紹介したり、互いに刺激し合ったりするのはよいことかもしれませんが、どちらの方法が正しいか、というような点で争うのは、ナンセンスです。受験は、自分が結果を決めることができません。もちろんテストに対して正答を重ねていけば合格ということになるのですが、他の受験生との兼ね合いもありますし、相手の学校の考え方というものも影響しないわけではありません。読みにくい文字をすべて×にしてしまう学校があるかもしれませんし、記述問題だと評価に微妙な差が出る可能性もあります。選ばれる側の受験生どうしが、互いにおまえの勉強法はだめだとか俺のが最高さなどと、決めることはおそらくできないでしょう。アイディアは出せても、決定権がないのです。
 
私たちは、自分の立場を弁えず、すぐに選ぶ側にまわって考え、自分の待遇を自分で思い込み、それに見合わないようであると怒るという性質をもっています。もちろん、逆にいつも卑屈になっている必要はないかと思うのですが、それでも、相手側が決めることについて、実は事態がよく分かっていない自分のほうが、こうすべきだ、なぜああしないのか、と文句を垂れがちであるのです。
 
それは信仰の世界でも同じです。教会が、あるいはクリスチャンが、自分の聖書解釈が正しくておまえたちのは間違っているとか、神はこのように考えているに違いないからおまえは裁かれるとか、そんなことを言って互いに争っているような、これまでの歴史と、いまの状況が、この愚かな受験生の姿以下であるということに、気づいて、それを止めないといけないと切に思うのです。総論は賛同できたとしても、各論で実際問題として困難であることはもちろんです。個人の中でも、それは難しいことです。ただ、どちらにしても、受験生自身が合格を決めることはできない点は、弁えておくところから考えをスタートし、また行動していきたいものだと、自身願っているわけです。



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