祈りとは

2019年2月15日

京都の教会にいらしたNさんを思い出します。お歳を召した女性で、教会にもあまり来ることができませんでしたが、牧師はいつも訪問していて、その方のお祈りというのを私たちにも時折話してくれました。教会の行事や家族の名、教会員の名前やその課題などを、紙に書いて朝毎にそれを開いて祈ってくださっていたそうです。それも、紙を長くつないで巻物のようにして、それを広げ巻きながらお祈りをされる、と。ユダヤの聖書朗読の恰好を思わせる姿ですが、ご本人は、いろいろ物忘れが多いから、祈る課題もこうして書いてその都度開いて見ているのだということでした。こうした「執り成し」の祈りは、あまり教会の表舞台には出てこないことが多いのですが、陰でベテランの方々が、あるいは若い人でも子どもたちでも、祈りによって教会が支えられているということを、これまで多く実感してきました。
 
あのころ、大学院生のとき教会に行き始めた私は、いくらか時間と体力に余裕がありました。教会では、朝6時から早天祈祷会が行われていましたが、ある聖会のメッセージからチャレンジを受けて、この早天祈祷会に行くようにしました。当時京都市バスの全線パスを使って通学やアルバイトなどに行っていましたので、交通費は心配いりませんでしたが、なにしろ朝6時から開始です。これを毎日欠かさず、というのは結構大変です。教会では、牧師夫妻がとにかく年中無休で早天祈祷をしていましたので、もうひとり大学生と励まし合って出席していました。朝7時ごろまでのこのひととき、半年か一年か、けっこう続きました。
 
スポーツでも受験勉強でも、合宿を経験すると、かけがえのない充実感や自信が身につくと言われます。比較するのは変ですが、なにかしらあの経験は、私の血や肉になっているのではないかという気がします。
 
もちろん、それが過去の遺物であってよいはずはありません。あの席では正座してちゃんと口に出す祈りでしたが、なにもそればかりが祈りのすべてではないことも、だんだん覚ってきました。もちろん、そうした祈りはすばらしいものです。あるハワイの宣教師は、主の祈りの一節を口にしてそこから示されることを思い描きながら祈っていると、それだけで一時間くらい経つことがあるのだ、と話してくれました。まさか、とも思いましたが、でもそれは分からなくもありません。しかしながら、祈りはなにも立派に文にしなくてもよいし、まして時間で計るものではないはずです。神社でお願い事をぶつぶつぶつけるのとは違うからです。それに、異邦人のようにくどくど祈るな、という戒めもあります。あれはあれで、偶像への祈りをイメージさせるものであったのかもしれませんが、ただ長い時間ぶつぶつ言えばよいのではないことは、カルメル山でのエリヤのエピソードを思い出せば明らかでしょう。主の祈りをイエスが模範のように示したことは、簡潔な言葉の中にもどれほど大きなものが潜んでいるかを教えてくれたと捉えることができるかもしれません。早天祈祷会など長い祈りの時を教えてくれたあの京都の母教会の牧師が、ずいぶん時が経って後、私が京都に行った時の礼拝で、祈りは時計の指す時間では計れない、と説教で語っているのを聞いて、メッセージが優しくなったようにも聞こえましたが、それは決して言い訳めいたものではないということは、十分伝わってきました。祈り抜いている人だからこそ、ほんとうに、そうなのだ、と。
 
祈りは神との対話である、とも言われます。また、賛美である、とも。神から言葉が下される、またそれに対して自分が応える、その繰り返しが、日曜日の礼拝の形式の基軸となっていますが、祈りという営みは、まさにそういうことであるのだろうと思います。しかしそれが単に形式になってしまうというのもよろしくないことで、いったい対話とか賛美とかいう側面から祈りを捉える、その前提や基礎はどこにあるのだろう、と考えてみると、私が神とつながっている、という背景がなければ意味がないことに気づかされます。なにより神とつながっている、それが祈りの大前提であることになります。またその背後を考えると、私が神のほうを向いていなければならないことも分かります。神と向き合っていること。私はこれをよく、神とサシで向き合う、と表現します。逃げも隠れもしない、もちろんできませんが、そういう情況で神の前に立つ。祈りはこれを背景にしないと存在できない営みでありましょう。
 
さらに、さらに、その前提は何かと問うならば、それは私が神と出会っているという事実に辿り着きます。相手を知らず、相手からも知られていないような状態で、コミュニケーションが成り立つはずがありません。壁に貼った憧れのスターのポスターに向けてぶつぶつ言ったところで、現実に何かが起こるわけではないのですから。
 
この出会い方はまた人により様々です。スタイルもルールもありません。それぞれに相応しい仕方で、神は出会ってくださったのでしょう。そして、そこにつながりが、あるいは関係ができる。その関係は、切ろうとしても切れない絆となっていくでしょう。だからその相手と、つまり神と向き合うことになるし、なにせ相手は神ですから、私を捕まえて離すことがありません。その神をしっかりと見る。神は霊だから見えないというときには、十字架のイエスを見つめる。そこに神と私をつなぐ道がある。イエスを見る者は神を見る。祈りの言葉と心は、この道を通じて、上り下りする天使のように行き来します。この祈りを信頼するところに、信仰と呼ばれるものが成り立っているものと思われます。
 
カトリックと異なり、プロテスタントではしばしば自由祈祷と言って、いわばアドリブで祈ることがよくあります。礼拝司会者の祈りはもっとよく練って原稿にして祈るほうがよい、という人もいますが、どちらかに決める必要はないかと思われます。それぞれに良さがあり、意味があるものだ、と。しかしそうすると、流暢な祈りを耳にすると、劣等感のようなものを覚えることがないわけではありません。朗々と唱えられる祈りは芸術的センスを感じることもあります。でも、祈りのエッセンスはそんなところにあるのではないでしょう。たどたどしい言葉でもいいし、詰まって声にならない祈りがあってもいい。あの取税人の祈りはファリサイ派の人の祈りとは異なるものでした。どちらが義とされたかは、イエスがはっきりと結論を出しています。祈りは、「ひと」に聞かせるためのものではありません。確かに礼拝などでも「公祷」と称して、皆の祈りを代表する公の祈りという形で祈るものがあります。しかしそれとて、気持ちが「ひと」に向いていれば、表向きどんなに美辞麗句で飾られていても、祈りでもなんでもなくなるのではないでしょうか。
 
祈りを聞くともうこれ以上見事な祈りはないだろうというような人がいました。聞くと、教会でだけでなく、家でもそのように祈るのだということ。逆に、家でいつもそうだからこそ、教会でもそういうふうなんだろうということになります。しかしこの人は、後に教会で厳しい裁きをなすようになり、教会を乗っ取るようなことへと突き進んでいきました。果たしてあれは祈りであったのかどうか、今にしてみれば、疑問が拭い切れません。
 
一人ひとりが、神としっかりとつながっていること。神との関係性の中で、キリストを岩として立ち、キリストを通して神と結びつき、祈りという、「神さまとのおはなし」でコミュニケーションを絶やさないでいると、これは、神との強いパイプができるようなものかもしれません。その強いパイプが柱のように教会に並びます。その祈りが執り成しという形で、自分でない「ひと」のために祈るものであるとき、たとえば、ある人が悲しみの中にあったり、弱くなったりしたときにも、周囲での仲間の祈りがその人を囲み、敵からの攻撃を防ぐことでしょう。また、その人が立ち上がる助けになることでしょうし、神からのエネルギーを集め注ぐ場にもなるものだろうと信じます。
 
こうしてだらだら綴る私の文章には、きっと多くの人が、付き合いきれないだろうと思います。しかし私は綴ります。いまこうして神との間で情報交換をしている――要するに祈りという時空の中にいる――とき、それを偶々指がキーボードを叩くという形で表しているだけのことであって、神抜きで誰かひとに向けて言葉を紡いでいるわけではないからです。それは、ありきたりの借り物の思いではないと理解しています。私と神との間で生まれたものですから、誰か他人の信仰を紹介しているのではないし、他人の神学思想を辿っているわけでもありません。それは、霊により響くものだと考えます。霊が働くとき、ここから大きな力がひとに及ぶものであることを願っています。また、そのようにして私が表しておくことで、私の中にタラントを溜め込んだり隠したりすることなく、とにかく外へ向けておこうというのが私のやり方です。
 
霊がもたらす神の言葉は、神の出来事となるはずだし、そこに力があることは間違いなく、また、そこに命があり、ひとを生かすということを、堅く信じています。そのために、この祈りを、祈った分綴るものですから、このようにまた、だらだらと長い文章が出来上がってしまうのです。言い訳がましく聞こえるかもしれませんけれど。



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