72

2019年2月10日

【ルカによる福音書】
10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
 
聖書で「七十二人」という数字がまとまって登場するのはこの箇所だけです。12人を遣わしたのならともかく、72人って、あまりに多いと思いません? 教会から72人を派遣するなんて、考えられませんでしょう? メガチャーチならともかくとして。
 
「七十二人」は稀であるのに対して、「七十人」はけっこう出てきます。エジプトに下ったヤコブの子と孫の数は七十人でした(出エジプト1:5,申命記10:22)。エジプトに下ったモーセが十戒を受けに神の山に登るとき、イスラエルの七十人の長老と一緒に登ってこいと言われていました(出エジプト24:9)。このようにモーセの周りには、何かあると七十人の長老に仕事をさせています。
 
士師記は七十人が好きで、七十人の敵や肉親を殺す表記が見られ(1:7,9:24,56)、ギデオンには息子が七十人いたと記されています(8:30)。主の箱の中を覗いた七十人の民を主が打ったこと(サムエル上6:19)、アハブの子供たちが七十人いたのを、イエフ革命で全員殺害したことも書かれています(10:1,6,7)。なんとも血なまぐさい時代の記録です。しかし、こうしたイスラエルの歴史を担う人々が、つい最近まで無惨な殺戮の中にあったというのも事実ですし、その報復の問題も思うと、立ちつくしてしまう思いです。
 
実はここの写本(発見された古い古い手書きの聖書)にも、「七十二人」と書いたものと、「七十人」と書いたものと両方あるのだそうです。そうなると学者たちは、どちらがオリジナルの形なのか、と考えることになります。七十という数が上記のように聖なる数の7に関連して扱いが多いので、そちらがオリジナルか、と思いきや、ひとはより相応しいほうに書き換えたくなるものだ、という原則に立つと、最初七十二であったものを、伝統的な七十に直した、と理解するほうが基本だと考えられているとのことです。しかし、どうして七十二であったのか、それは12×6ですから、聖なる数7でなく、悪魔的な6というのが分からない、という悩みに陥ります。しかしある方が、イエスは十二弟子の「ほかに」七十二人を選んだと10:1にあることから、十二弟子を加えた84が、12×7となり、聖なる数の積であると説明してくれました。生まれたイエスの宮参りを祝福したアンナの84歳というのも、これと関係があるのかもしれませんね。
 
さて、その72という数字について、しばらく散歩してみましょう。72は、半端なようでありながら、実はたいそう数的には優れものだと見なされます。
「72 = 2 + 4 + 6 + 8 + 10 + 12 + 14 + 16」
のような面白い和の形や、その他連続数の和などの性質もありますし、
「12個の約数をもつ」
というあたり、凝ったつくりになっています。
 
12というのが聖書の世界において特別な数であることはご存じだろうと思います。十二部族のイスラエルや十二弟子など、どうして十二なのかというほど、あちこちでたくさん登場します。神の数3と人間の数4の和である7もまた聖なる数ですが、それらの積である12もまた聖なる数として扱われているからです。
 
72はこの12の倍数です。黙示録に12の2乗である144について神の刻印を額に押された人々の数が144,000人であることや、小羊と共にシオンの山に断つ、贖われた者が144,000人いたこと、それから、新しい都エルサレムの城壁が144ペキスという寸法で書かれていたことが目につきます。
 
また、72については、イスラエル十二部族それぞれから6人ずつ代表が出てギリシア語訳に挑んだ伝説が有名です。アレキサンドリア図書館のためプトレマイオス2世が、エルサレムから72人のユダヤ人の長老を招き、72日間でモーセ五書を訳させたことからこの名が。しかも彼らの訳がそれぞれ寸分違わず一致していたという奇蹟があった、というのです。さて、これはどこまで信じればよいのでしょう。
 
当地のユダヤ人たちが元来のユダヤの言葉が理解できなくなってきたので、当時の共通語とも言えるギリシア語への翻訳が試みられたそうです。
 
新約聖書の中で旧約聖書が引用されているときは、しばしばこのギリシア語訳から引用されています。どうしてそう分かるかというと、ヘブライ語聖書から訳されたギリシア語訳は、やはり言い回しや表現が異なることが多いし、誤訳ではないかと思しきところもあり、新約聖書はそのギリシア語訳のままに引いてきていることが見て取れるわけです。そのためキリストの弟子たちの教会では、この七十人訳聖書を中心に置いて活動していたと思われます。
 
さて、72という数は、
「72 = 360 ÷ 5」
としても馴染みがあります。正五角形の一辺を弦とする円の扇形を想定すると、その中心角が72度になります。正六角形の対角線6本で囲まれた図形(六芒星)は現イスラエルの国旗にも採用され、ダビデの星だと称されていますが、これが正五角形のバージョン(五芒星)になると、ソロモンの星とも言われます。それは数学的に神秘的な比率(黄金比がそこにある、描かれる角が36度×1、36度×2、36度×3の3つしかないなど)が隠れており、悪魔に関する図形として神秘主義(?)で扱われることがあります。遊戯王でもこの星がどーんとあったことを思い出す方もおられるかもしれませんね。
 
聖書の数字は、あまり穿った見方をするのもどうかと思いますが、時折数字の意味に注目してみるのも悪くありません。ヘブライ文字が数字を表すところから数字の中に文字の暗号を隠しているという、ゲマトリアなるものも有名です。一番知られているのが、黙示録にある「666」という獣の名の数字(黙示録13:18)でしょう。……誰ですか、「777」が揃うのが一番いい、なんてにやにやしているのは?



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