ヘレニストとヘブライスト

2019年1月20日

歴史で、ヘレニズムとヘブライズムということを学んだ人もいるでしょう。
 
日本の神話に、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)という人物が登場します。倭建命という表記もあります。日本(倭)をヤマトと呼ぶのと少し似た意味合いがあるのでしょうか、ギリシア神話で民族の祖とされるヘレーンに因んで、その子孫の名でギリシア地域をヘラスと呼んだことから、ギリシア文化なども指すようになったのが「ヘレニズム」という用語です。
 
「ヘブライズム」はユダヤ文化を表します。はるかアブラハムの時代など、別の地からやってきた者というふうに自らを名のったところから来ているとも言われ、またエジプトの記録にもそういう名で呼ばれた人々がいたことも分かっています。ヤコブに焦点をおく「イスラエル」という呼び方や、ユダ部族に基づく「ユダヤ人」という呼び方もあり、ややこしいのですが、基本的にはそうやかましく区別しなくてよいとされています。
 
近代ヨーロッパ文化は、ヘレニズムとヘブライズムという2つの文化の流れが合流している、と普通理解されています。もちろん、ヨーロッパ古来の文化もそこにあったわけですが、文化・文明的な観点から、哲学や科学、そして宗教という側面において、これら2つの文化が大きな影響を及ぼしました。
 
キリスト教会が誕生した当時、ローマ帝国はヘレニズムを継承していました。もちろん、ギリシア文化にどっぷり浸かっていたとはいえず、たとえば神話は受け継ぎつつも神々の名前を呼び変えるなどローマ文化を打ち立てていきましたが、ローマは建設や法律などのいわゆる実学方面を得意とする文化でしたので、哲学や芸術などのいわゆる文化的側面ではギリシア文化を尊重するしかありませんでした。それで帝国支配を成し遂げても、文化的にローマのものを押しつけることよりも、言語でもギリシア語を重んじるなどして、ギリシアの権威を保っていました。これはたとえば、いまアメリカ合衆国が世界を席巻しているような中でも、西洋文化とか西欧文化とか言い、アメリカとて文化的にはヨーロッパ文化の後にあるという新興扱いを受けることがあるかと思いますが、それと似ているかもしれません。
 
ユダヤ人はユダヤ戦争においてローマへの反抗からユダヤ教が壊滅的影響を受け、エルサレム神殿を失います。そして宗教的勢力としてはパレスチナの地から追い出されていくのですが、そうして散らされてディアスポラとされていく以前にも、広く帝国内各地に移り住んでもいたようです。パウロが旅したときにすでにそこに教会やユダヤ人の集まりがあったことも書かれていますから、各地にユダヤ人がいたことは明白です。それはまた、各地のユダヤ人でない人々も共に生活していた、そういう文化の中にあったということにもなるでしょう。血筋がユダヤ人であったとしても、生まれ育ったのが完全に外国である場合、ギリシア語を用い、ギリシア文化を生活の軸として暮らしていくことは避けられず、それで、キリストの弟子たちが共同体をつくったときにも、ユダヤ人だけでなく、ギリシア語主体で本来ユダヤ人ではなかったような人々も、加わっていったものと思われます。とくにパウロが、ユダヤ人からの迫害によって異邦人伝道に向かったせいもありますし、ペトロの側でも、異邦人に対してきよくないとは言えないというふうにして異邦人が仲間に加わった記録もありますから、教会にはユダヤ人もギリシア人もいたということになるでしょう。
 
しかしそうなると、教義や正典が定まっていない初期においては顕著に、生活の基準が権威的に強く決まっているわけではないため、生活文化の違いや信仰理解の相違から、問題となることがあったことでしょう。必ずしも折り合いが良かったとは言えず、むしろ意見の相違が目立ったのではないかと想像できます。それで使徒言行録6章冒頭のようなもめ事があり、教会の中で役割が明確になっていくという経緯が書かれているのではないかと考えられます。
 
きっと教会の中にもの、ガチガチのユダヤ主義者もいたでしょうし、異邦人に柔軟な態度をとるユダヤ人や、また異邦人として力をもつ故に新たなキリスト者像を示すことになった人々もいたことでしょう。ここの七人の執事は名前が丁寧に連ねられていますが、いずれもギリシア的な名前ですので、おそらく隅っこに置かれていたヘレニストたちに、正式に地位が備えられたということなのでしょう。あるいはこのような事務に徹させることで、体よく信仰的な運営に対しては口出しをさせなくした、とも考えられますが……。
 
意地悪な見方かもしれませんが、ルカは、教会のことをテオフィロなる恐らくローマ側の人物に対して、悪く言うことはしたくありませんので、けっこう注意深く、教会の問題を問題としてあからさまにすることを避けるような姿勢で綴っていることがしばしばあります。冷静に読み取るためには、言葉の裏や、言わなかった点に注目するような形で、当時の教会の実情について考察することも重要です。そうすることにより、いま私たちが直面している教会の問題が過去にもあったことを知ったり、その問題の解決をどうすればよいのかの指針を与えられたりすることがあるかもしれないからです。
 
教会は決して理想郷としてのユートピアではありません。なぜって、不完全な私もそこにいることを許されているのですから。そして、その意味では理想的な教会はまさにユートピアです。「ユートピア」というのは、「どこにもない場所」という意味の言葉だからです。
 
それでも、神の国の大使館として、この世で教会は、こちらが主です、主を見てください、と道標や看板の役割を果たしていくことを使命とし、この世にあり続けていくことになるのではないかと思います。



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