医者

2018年12月30日

出血の止まらない女が「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」(マルコ5:26)という記述が福音書にあります。
 
医療の歴史を丁寧に辿るとよいのですが、素人にそれはできそうにありません。漠然とした話になるかもしれないことをお断りしておきます。
 
マルコの記述を編集したとされるマタイは、こうした女の事情を「そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て」(マタイ9:20)だけであっさりと済ませてしまいました。マタイは女性にはあまり関心がないかのようです。ルカは「十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた」(ルカ8:43)と、マルコを踏襲しています。このルカの「医者」も複数形です。ただ、苦しめられた件は書かれていません。ルカは医者だという肩書きがあるとされます(コロサイ4:14なのでどこまで信用できるかは不明)ので、加減したのではないか、と邪推されることもあります。
 
どうしても、時代が異なり、環境が異なると、そして当然文化も違いますから、私たちのイメージする「医者」と、聖書の記述の「医者」とは食い違うことがあると思われます。また、現代で考える医学の技術や知識と、当時のそれとはまるで違うと言えるでしょうから、その業務や実情も、私たちの思い描くものとはずいぶん違うであろうことを念頭に置いて読む必要があるでしょう。
 
医者が社会的ステイタスになったり、知的な人と考えられたりすることから、まず離れなければなりません。考えてもみると、医者というのは、人の汚い部分に触れる仕事です。病気に感染する最前線に立たされる人です。ユダヤのような「汚れ」を律法で厳密に定めて、へたをするとそれで見下されるという環境にあっては、医者が聖職だというような目で見られることはなかったと思われます。奴隷の中から教育され技術を得た、そんな人もいたのではないでしょうか。
 
ハンムラビ法典には、手術に失敗した外科医は腕を切られる、というような記述があるそうですが、但しエジプトの医学に従っていた場合は免除される、とされていたとも言われます。エジプトは医学的知識に長けていました。だからこそ、古くからミイラ技術が可能だったのです(創世記50章でヤコブのミイラをつくったのも「医者」)。
 
古代オリエントにおいては、医療は、宗教的な意味合いの範疇にあったように見えます。祭司や僧のような立場の者が、医療行為をしていたようです。日本でも、加持祈祷という中で病に対していた有様が見てとられるように。しかし、まじないや神がかり的な行為だけですべてがなされていたようには思えません。宗教者から離れた専門職がいたのも事実でしょう。そして、人間は命を守る方法を言葉で後世へ伝えることができたために、それが知識として重なって発展させていくことができたのかもしれません。本能のままに同じことを繰り返す動物とは一線を画しているわけです。
 
聖書の中でたとえばユダ王国のアサ王は、足についての重病の床で神をでなく医者を信頼したために2年後に死んだと記録されています(歴代誌下16:12)。エレミヤは、イスラエルの民の傷をいやす医者がギレアドにはいないのか、と訴えていました(エレミヤ8:22)。ヨブが友に向けて、神に向けて問うているのだから人間であるあなたたちの塗る薬は偽りであり、役立たない医者だと不満をぶつけていました(ヨブ13:4)。旧約聖書に出て来る医者は、ここまでに挙げた4例がすべてです。
 
新約聖書では、有名なイエスの言葉があります。
 
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)
 
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9:12)
 
「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ5:31-32)
 
マルコをマタイとルカが下敷きにしているという流れで捉えると、やはりマタイは淡泊になっていますが、罪人というラインに引っかかりをもった可能性もあります。マタイは律法をそれでも大事だと考えていますから。しかしルカは異邦社会への窓となる福音書を書いていますから、罪と救いの対比を強調します。おまけに「悔改め」というルカの定番も組み入れています。ともあれ、医者は必要だったようです。
 
もうひとつ、ルカだけが引いていることわざがあります。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」(ルカ4:23)というものですが、この格言(比喩をも表す語)はヘブル語やギリシア語の中に類型のものが見出され、文明各地に共通に見られた考え方であると思われます。自分の病気をも治せない医者への悪口のようなものでしょうか。
 
面白いことに、旧約聖書続編のシラ書38章では、医者が博識で尊敬される立場にあると書かれています。薬も駆使しますが、ここでの世界観は、主から癒しの業を医者が授かることや、薬は主が造った自然から得られるということで、背後に主の働きが強調されていることです。そこで、次のような教訓が語られていますので、ご紹介します。どうぞ味わってみてください(シラ書38:9-15)。
 
子よ、病気になったら放置せず、
過ちを犯すな。手を汚すな。
あらゆる罪から心を清めよ。
良い香りの献げ物と、
質の良い小麦粉を供え物として献げよ。
余裕のあるかぎり十分に、供え物に油を注げ。
その上で、医者にも助けを求めよ。
主が医者を造られたのだから。
彼を去らせるな。お前には彼が必要なのだ。
医者の手によって病気が治る時もある。
医者もまた主に祈り求めているのだ。
病人の苦しみを和らげ、
命を永らえさせる治療に成功することを。
創造者に対して罪を犯す者は、
病気になって医者にかかるがよい。
 
ルカ17章には、十人の皮膚病の患者に出くわした話があります。癒しの物語には、どのように治したのか大抵書いてあるものですが、ここは例外的にどのように治したのかは説明されていません。しかし特徴的なことには、この十人のうち、一人だけがイエスの許に戻ってきたということが書かれてあります。私たちはここから何を聞きましょうか。イエスに御礼を言うべきだということでしょうか。
 
イエスは十人とも、「清くされた」と書いてあります。しかしその中の一人は、「自分がいやされたの知って」戻ってきたのです。それがサマリア人という、ユダヤ人から見れば忌まわしい外れ者であったところもルカらしいのですが、イエスはこの人だけに「あなたの信仰があなたを救った」と言葉を与えました。「清くされた」のは、ユダヤの律法規定で社会復帰ができるということでした。彼らは基本的にそれだけを求めていたはずです。隔離され、家族にも会えない生活をなんとかしてほしい、と遠くから(でないと人に近づくことは許されない)イエスに助けを求めたに違いありません。しかしこの一人は、「いやされた」のを「見た」のでした。当時、本当に癒されるというのは、罪の赦しを伴うものでした。それは、病気が罪の結果であるという差別的な扱いをもたらす見方にもつながっていたのですが、その故にまた、この一人の病人は、たんに社会生活が改善される自分の求めていた利益的な側面である「清め」だけではなく、自分の罪も赦されたのだ、というのが見えた、その信仰が与えられた、というのでしょう。だから「信仰があなたを救った」のです。自分の益になることが叶ったばかりではない、自分の中の心の闇の奥に潜んでいた、罪の意識が消えたのを確信したこと、そしてそれがイエスにより、あるいは神によりなされたのだということへの感謝が神への賛美となって戻ってきていたのですから、それこそが信仰または信頼ということの意味だったということになるのではないでしょうか。
 
信仰があったら医者や薬に頼らず、神に祈りなさい。「信仰深い」教会の先生は、そのように「信仰に立って」アドバイスすることがあります。病院に行くのは不信仰だ、というような観念を植え付けられるとすれば、迷惑な話です。神は、医者をも用いてくださることでしょう。ただし、医者を神のように見ることには気をつけなければならないでしょう。また、あの九人のように、自分の益を最優先させてしまうことも、陥りがちな罠です。それは、本質的な意味での「偶像礼拝」であるということを知る必要があります。
 
しかしこの問題は「医者」そのものからどんどん離れていきますので、今回はこの辺で。



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