やがて君になる

2018年12月1日

ひとがひとを好きになる。その心理は神秘的だと思います。そしてそのひとと「特別な関係」を結ぶということは、さらに勇気のいる、人格全部をぶつける大勝負でもある、と。
 
そういう心理を描くストーリーが好きです。映画でもアニメでも、キャラがひとつの特性しか示さず、超能力や魔法でちょろっと解決するものは好みでなく、誰かが誰かと出会って悩んだり心が動かされたりしていく、その心理的な描写がなければ魅力を感じないというのが実情です。けっこう、どろどろとした心理でもいいんじゃないか、と感じます。
 
日ごろコミックスを手に取るわけではないので、アニメとなってからしか知らないマンガが多いのですが、今回も深夜アニメで知りました。コミックスも入手し、いま「やがて君になる」(以後「やが君」と記)にときめいています。
 
百合ものと聞いてどんな印象をもつかはその人次第です。私はべつに嫌悪はしませんでしたが、特に関心をもつことも、これまでありませんでした。それが今回、この「やが君」と出会って、ひとがひとを好きになる、ということの、どこか純粋な気持ちを感じさせ、また考えさせてくれるものとして、引き込まれていったのです。
 
高校生になった小糸侑は、恋する気持ちが分からないでいました。誰をに対しても特別な感情を抱けなかったのです。ひとつ上の生徒会役員である七海燈子もそのようなタイプだと感じ、悩みを打ち明けるのですが、そのとき燈子のほうがこの侑に好意を抱きます。この燈子先輩の強引な押しに屈する侑でしたが、燈子が生徒会長となってから、七年ぶりに生徒会劇に挑戦すると主張します。その背景には燈子の姉の存在があり、燈子自身の自己に対する深い悩みや思いが隠れていました……。
 
その他、「やが君」では取り囲むキャラもそれぞれに自分の気持ちや存在に問題を抱えています。他にも百合関係が少なくとも4人も出てくるので、作者の本分ではあるだろうと思いますが、男の子キャラも心理的に唸らせるものをもっていました。それぞれの心の中の描写が秀逸だと思います。竹宮恵子さんもその描写に絶賛したというくらいですし、仲谷鳰さんの連載デビュー作としての本作に、大きな才能を感じます。まだ連載中ですから、これからどこへ流れていくか知れませんが、それなりの伏線があり、また、意味深なタイトル自体も謎が解き明かされていませんから、「四月は君の嘘」ばりに、最後に解明されるように仕向けているのではないかと思われます。ただ、マンガを読んでいくと、それなりににおうようなところはあるのですが、作者もまだ完全には構想ができていないようです。ポイントは、この「君」が誰であるか、ということでしょうけれど、きっとマルチな意味がこめられているのだと感じているのですが……。
 
聖書は恰も同性愛を罪と決めているかのようにも読めますし、歴史的にそのように扱われてきました。それが近年、人権問題などと重ね合わされて、掌を返したように同性愛の味方をするような団体や思想がキリスト教の中でも現れてきています。気をつけないといけないのは、いまその味方をすることで、自分がずっと最初からその味方であったような気持ちになることです。人間のちゃちな正義感で、自分はつねに正義の味方でありたいものですから、かつて自分たちが犯してきたことに無頓着になりがちなことは、例を挙げるまでもないことでありましょう。キリスト教会は権力をもつ中で、魔女としてひとを殺し、異教の国を滅ぼしてきたのです。ファリサイ派や律法学者、祭司長たちのしてきたことは、そのまま歴史の中のキリスト教会がしてきたと見るべきではないかと私は捉えています。従って、キリスト教会は、いまも一部はそうなのですが、同性愛者を人間扱いしなかったし、迫害し差別してきた、その前提の上で、自分がキリスト教会に属するという立場をとることがなければ、偽善者もいいところだと考えるのです。たとえば、教会が恰もずっと正義であったかのような顔をする時に、戦争責任があるなどと誰かに向けて叫んだとしても、なんの説得力もないのではないでしょうか。ともすれば教会は正義を主張している、とヒーローになろうとする向きがあるように見受けられますが、とんでもない、キリスト教はこれまでどれほど勘違いをしてきたことか、ひどいことを錯覚してやってきたことか、それを自分のこととして痛感し抱えながら悔改めと共に歩んで行くのでなければ、存在価値すら失っていくのではないかとすら私は理解しているのです。
 
しかしそのようなことを踏まえるまでもなく、実はこの「やが君」を見ていて私は、もしかすると男女の間の「好き」という関係のほうが、もっと不純で、打算的で、醜いものであるような気さえしたことを告白しておきます。その内実はとくに申し上げません。ひとがひとを好きになる、というのが純粋な形でここに描かれている、だからこそ、その好きという感情と自我の関係の中で悩みすら生じ、その矛盾を止揚するべく行動していく、また相手との関係を確認し、時に迫り、時に離れる、そんな「特別な関係」がそこに展開するということを、わくわくしながら味わっているのです。
 
内容については、アニメよりもコミックスのサイトのほうが説明が分かりやすいので、そちらをリンクしておきます。
 
ただ、これを見て考えている私が「男」であることも、当然ここに影響を与えているはずです。男どうしの場合に同じように見ていられるのか、分かりません。ここが女子高校生という、どこかピュアな世界だからまた、感じるという部分があるかもしれません。しかしまた、ドラマは読者(視聴者)の思うところを超えて、巧みに動いていきます。現在進行形の連載がこれからどうなっていくのか、見守りたいと思います。いや、それにしても、切なくて、胸が締めつけられそうな気がするばかりで、こんな気持ちを久しぶりに味わったことだけは、確かなこととして記したいと思うのです。



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