SNS伝道と教会の未来

2018年11月23日

LINEをお使いの人で、「LINEスタンプ」からの情報を受けている方、最近「絵文字」のアピールが多くなっていることにお気づきでしょうか。他方、「スタンプ」については、購入でポイントを進呈などと少し気前のよい宣伝が幾度も届きます。これは何を意味しているのか。そう、スタンプの人気に翳りが出ており、絵文字をウリにしている、という現象です。
 
図書館で借りた『スマホマーケティング』、斜め読みではありますが、要点に(まるで私がいつも本に引いているかのように)マーカーが記されていて、データ表が豊富なのでかいつまんで関心の生まれたところを読み進むことができましたので、LIFTの辺りなどはちょっと該当者の一人として、興味深く覗いてみました。Line, Instagram, Facebook, Twitter というSNSの代表ですが、気づけばどれにも関わっていたわけです。
 
しかしこれらは、年代別に利用度がかなり違います。そのことは知っていました。だから教会でFacebookを使う人が如何に多くても、若者に届く情報とはなっていないということも、分かっていました。むしろ教会では、LINEスタンプ(絵文字)でも提供して、つながりを求めた方が若い人たちも便利と思うであろうという方向で方法を考えたほうがよいわけです。
 
確かに管理は簡単ではないでしょう。即座の対応はなかなかできず、また継続していくというためには、それなりの時間や労力を要します。しかし、SNSやネット上に存在しない教会は本当に存在しないのだ、という指摘もあったほどに、いまや伝道のメディアとしてこれらを利用することは必需と言われても仕方がない状況にあるのは確かです。もちろん、伝道の基本は直に触れあう人への接し方だということが否定されるわけではないし、地味な地域での奉仕やポスター、トラクトなどの方法に意味がないなどというつもりは毛頭ありません。しかし、そのもたらした結果がいま深刻化している、教会の未来の危機となっていることも認めなければならない状況にあります。
 
特定のSNSが結局、現実には仲間内のコミュニケーションツールという程度に留まっているに過ぎないのに、恰もそれで伝道アピールができている、と思い込んでしまっている現状がありはしないでしょうか。顧みる必要があるのです。
 
それというのも、上馬ショックとでも言うべき、ある教会が始めた「ふざけた」ツイッターが、みるみるフォロー数を増やし、教会に訪れる人を呼び込んでいるという事実が明らかにされた、これが大きな出来事だと言えるでしょう。気取らず、若者の共感を得るそのスタイルは、括弧付けで「ふざけた」といま記したように、そこには特別な意味がこめられているとご理解ください。かなり考えられ、また祈りの中から、「ふざけ」ているのです。
 
上馬キリスト教会のやり方を真似てみている教会も出てきました。ひとつのモデルとして参考にすべきだとは思いましたが、それこそ二番煎じの雨後の筍がうようよ出てくるこの国の常態ともなりかねませんので、結局各教会やそのスタッフの持ち味というものが現れてくるものと思われます。私のところでも模索しながら、発信を始めましたが、そういうセンスに長けた人が請け負ってほしいのに、私のようなセンスのない者が扱っていると、魅力あるものとはなかなかならないのが実情です。
 
『スマホマーケティング』は、なにも教会のやり方を指南する本ではなく、ビジネスに活かす途を探し伝えるのが目的と思われます。いのちの言葉をもたらすこととは一線を画しておく必要がありますが、世のやり方に抜け目なく目を配ることが無意味だとも思えません。
 
せっかく牧師がそういうことに気づいても、古い教会員が新しいやり方に違和感を覚えるが故に抑制するに留まり、過去の轍を踏み続けるしかないような教会もあります。その逆もあります。企業は利益が上がらなければ消滅しますから顕著ですが、教会は貧相な中でなんとか続けていくこともありえますので、そしてまたこれが信仰だなどという拠り所があるものですから、まだ現象としては起こっていないと言えるのかもしれませんが、信徒数の減少や、牧師伝道師の高齢化(データを見ると驚きます)、青少年や子どもの激減という現実の中で、教会と名の付くものも淘汰されることは必至でしょう。かといって、宗教的関心が本当になくなっているということでもないのですから、適切な研究や調査の結果などとも協力して、閉塞感を打開していく道を探すことが緊急に求められていますし、もちろん希望がないわけではありません。そもそも信徒の拡大が聖書の告げる伝道であるのか、という議論もあるでしょうが、普く宣べ伝えよという命令も事実なのですから、教会はあれこれ踊る会議を重ねるばかりでなく、現実に動いて試していくことを、しかもこちら側の思い込みに基づくのでもなく、適切なデータを参考にしながら、一刻も早くスタートしなければならないわけです。
 
『スマホマーケティング』という本に限る必要はありませんが、情報化社会の現状を知ることが重要でしょう。人間心理や社会心理、宗教哲学などを綜合するという意味での「哲学」は、だましごとの哲学ではありません。真摯に考えていくのはまさに「きょう」なのではないでしょうか。
 
そして、一人ひとりと向き合う牧会が、聖書のもたらす「いのち」であることも、決して忘れてはなりません。



沈黙の声にもどります       トップページにもどります