ナルドの香油

2018年11月4日

純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺が、ベタニヤでイエスの前にもたらされました。石膏と訳されているのは、いわゆるアラバスターであって、古代エジプトの遺跡から発掘される、香油をはじめとした化粧品のための白い容器でした。王侯貴族のものであったとされています。ミイラをつくるときに内蔵部分を入れる容器にも使われたそうです。
 
つまりこの容器自体が高価であったのです。そして、それはどうやらエジプト由来である可能性が高いものと思われます。そもそもエジプトこそ、香油の歴史を刻んだ国でした。ミイラについてはもちろんのこと、化粧についても発達しており、様々な香辛料や香油についての知識をもって利用していました。どうやら、香りは、よみがえり・再生につながるものと考えていたようです。高貴な女性は全身から香りが漂うように肌に垂らすのはもちろんのこと、頭に香料を混ぜたロウを頭に置いて火を灯すと、ロウが全身を伝うなどの方法をとっていたということも聞きました。もしかすると、クレオパトラの魅力というのは、この香によるものであったのではないか、とも考えられるほど、香料のウェイトは大きなものがありました。
 
香料の生産はエジプトの神官たちでした。そしてその作業は奴隷たちに担わせました。ここでイスラエルが関わってきます。エジプトで長い間、イスラエル民族は奴隷生活をしていたではありませんか。ローズやジャスミンなどを扱っていたと考えられ、この奴隷が逃亡して、また出エジプトの出来事によって、この技術が拡がっていくことになります。
 
ギリシア文明でも香料は珍重され、ギリシア神話にも香りにまつわる話が出てきます。アロマテラピーも利用されていたそうです。これは、ローマ文化にも受け継がれていきます。こうして、香水の技術や習慣は、女性にとっては特に重要なものとされていったということです。
 
ナルドの香油については専門的な指摘を見つけましたので、引用します。
 
■ナルドの一般名称はナルドあるいはスパイクナルドという。日本名は甘松香、英名ではspikenardという。ネパール、ブータン、ヒマラヤ山系の高山地帯が原産でゴボウに似た根茎と若い茎を乾燥して香料として利用する。また、根茎と若い茎の芳香成分を搾り、油に溶解する。
 
小指の先に付け、手の甲に塗ってみると、意外に滑らかで、広がる香りは、積み上げたワラを押し開けたときに感じるやや湿った感触の中に、弱い吉草根の香りを感じる。更に、インドネシアでとれる重要な香料素材であるシソ科香料植物パッチュリのウッディノートも持っている。注意して嗅ぎ込むと官能をそそる香りがひそんでいる。ナルドは古代ギリシャ、ローマ世界でも珍重され、裕福なユダヤ女性の間でも愛用されていた。あまりよいとは思えないこの香りも、暑さが厳しく乾燥した土地では、きっと貴重な素晴らしい香りと感じられたに違いない。
 
ナルドの有効成分はバレリアンの成分に近い。薬用に鎮静、鎮痛、利尿、胃腸薬として用いられる。日本には奈良時代8世紀中期の法隆寺資財帳 に初めて甘松香の名がある。仏教儀式の焚香料として用いられたと思われる。平安時代の薫物の処方によく使われている。
 
医療関係者向け情報サイト・サノフィe-MRより


 
この「一人の女」は、他の福音書の記事とあわせて考えられて、あのひとではないか、このひとでは、と憶測されていますが、少なくともマルコだけを見るかぎりは「一人の女」であること以上は分かりません。但し、労働者の年収に匹敵するほどの額だと弟子が直ちに換算していることと、それをあっさりと消費してしまうことからしても、決して貧しい身ではなかったのではないかという推測を呼びます。弟子たちは、女がどうして高価な香油をもっているのか、という点について疑問をもったのではありませんでした。それを貧しい人々に施すことをすべきだった、と言っているだけです。当時この話を聞いた人々には、これだけの表現でさして問題なく事情が呑み込めたということなのでしょう。イエスはこれを、埋葬の準備と受け止めていますが、当時誰もがそのように理解したということなのでしょうか。
 
イエスの誕生の場面でも、乳香や没薬といった香料の名が贈り物を彩っています。気をつけて聖書を見ていくと、香りについての記述は実は多々あります。そもそも律法では、神の前で香を炊くとか、芳しい香りだとか、もちろんそこには動物の犠牲の話も入るのですが、神は香りについて、非常な関心を示しています。但し、五書のうちで、申命記だけは、香りについては検索上1度しか登場しません。創世記に2度というのはまだしも、他の3つの律法の書にふんだんに現れることを思うと、同じ律法をまとめたと言われる申命記の1回というのはなんだか謎めいています。
 
かの「一人の女」の捧げた香油が何の香りであったのかは想像するほかありません。ナルドというのは草の名前であり、いまも漢方で使われることがあるそうなのですが、現在、香料としては入手しづらいだろうと聞きました。しかしナルド大量の香油を使ったということは、その場はとてつもなく異様な匂いに包まれたことでしょう。とても悠長に批判などしている場合などでなく、へたをすると吐き気すらもよおすほどの強烈な刺激だったのではないでしょうか。この後イエスは、歩く毎にこの香りを漂わせていたのではないかと思われます。イエスのそばに来る者は誰しもがこの強い香りを嗅がなければならなかったことでしょう。私たちはそのイエスの香りの如く、その言葉をいま強烈に浴びているでしょうか。そこにイエスがいるのだ、と意識しているでしょうか。この女の行為はイエスが記したごとく、確かに「記念として」語り伝えられたことになります。私たちもまた、それを語り伝えます。それからまた、私たち自身が香りとなることをも、パウロは告げていました。私たちは、良い香りなのだ、と。



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