リスボン地震

2018年11月1日

11月1日はカトリック教会でいう万聖節。この日の出来事として、世の中では殆ど話題に上らないのですが、私は密かに絶大な影響を与えた出来事であったと睨むものがあります。
 
1755年のこの日、ポルトガルの首都リスボンが、推定マグニチュード9.0とも言われる地震の津波を浴び、壊滅しました。いまのイメージで見てはいけません。当時のポルトガルは、世界の覇者と言ってもよく、被害もさることながら、ヨーロッパ人に与えた精神的ダメージは計り知れないものがあったと思われます。
 
朝9:40頃発生した地震は、ヨーロッパから300kmほど離れた震源であったとはいえ、巨大津波が発生し、大西洋を渡ります。また、地震で蝋燭の火が引火し都市部は火の海となりました。密集した建物は火の回りを早め、市街地では3人のうち2人が死亡したと見られています。あるいは、死者は推定ですが6万とも9万とも言われます。伝染病を防ぐために遺体を海に流す水葬という措置をとったのは、それ以上の被害を出さずに済んだ英断であったと現代的な視点からは見ることもできるでしょう。
 
精神的ダメージというのは、この11月1日が、カトリックで聖人をまつる祝日だったことでした。当時は地震のメカニズムもよく分かっていませんでした。当時自然科学の思想に詳しかった哲学者カントも、ショックを受けて地震についての論文を幾つか書いていますが、宇宙の生成についてはいまなお通用する説を唱えたカントですら、地震については誤った原因を論じております(但しこの科学的な究明は地震学の祖でもあると見なされうる)ので、本当に地震というものは神のなす罰であるとしか当時の人々は考えていなかったはずです。よりによって、人々が教会に集い敬虔な祈りをささげるこの日に、世界最大の町が地震で崩壊したのです。
 
しかし、復興はしなければなりません。ポルトガルは元のような世界覇者としての役割はもう果たせなくなりましたが、地震の原因を考えようとしたり、都市の再建を計画的に科学的な考え方を基に進めたり、この地震からの復興を考えるにあたり、近代的な思想が基盤となり用いられるようになっていった、とも評されています。
 
ライプニッツはその40年ほど前に没していました。数学者や科学者としていまはよく知られるライプニッツですが、哲学者でもありました。その思想は、高校倫理でも学ぶように、楽天的な世界観とも言われ、神は世界を最善に導くとする弁神論を唱えました。これは時代的に当たり前のことでもあったのです。こうした神義論とも相俟って、教会もまた聖書から神をそのように説いていました。多民族に襲われたかつての歴史が過去になり、ヨーロッパは平穏な時代を過ごしていたのです。それが、この地震で思想的にも崩壊することとなったことは想像に難くありません。
 
近代都市の構築でこの復興は考慮に入れられることはあるのですが、思想史的にはあまり取り扱われないような気がします。事実、リスボン地震についての書物というのが殆ど見つからないのです。しかし私は、これは絶大な影響を与えたのではないかと思えてなりません。神観が大きく変換したと言っても過言ではないのではないでしょうか。
 
私たちもいま、東日本大震災を目の当たりにして、信仰や救済ということが問われています。流されていく映像を繰り返し見て、新たな聖書解釈さえ表立つようになりました。しかし、18世紀半ば、ヨーロッパはそれ以上のショックを受けたのです。教会の置かれた時代や精神的背景は違いますが、あのときの思想状況は、もう少し研究されてよいのではないかと思うのです。それを知らずに、対策を講じることなくしては、同じように流されていく虞すらあるのではないかと危惧するからです。
 
ひとつ、多方面な情報をまとめたサイトを見つけましたので、リンクしておきます。  



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