いま、このときに

2018年10月30日

いま、そこにいる人が、明日もそこにいるとは限りません。もちろん、私も条件は同じです。人は、いつ死を迎えるか、自分では分かりません。
 
確かに、時というものがあります。なにもかも慌てて、焦って接するのだ、などと言うつもりはありません。性急に何でもするべきだ、などと杓子定規で申し上げるわけにはゆきません。
 
しかし、いま、言おうと思っていてもどうしても言えない、照れくさくて言えない、自分を守りたいから言えない、そんなときに、少しばかり勇気が与えられたら、と願うのです。
 
やさしい言葉、そして、いのちの言葉。
 
いのちあるうちに、いのちある時に、それができたら、悔やむことが少なくなるでしょう。それを私は、ひとつの幸せの姿だと認識したい。
 
英語で、He is the last man to do such a thing. といった表現があることを昔習ったことを思い起こします。今のご時世なら man ではなくて person とでもするところでしょうが、「そんなことをする最後の人だ」などという訳はしてはいけません。「決してそんなことはしない」か「まさかそんなことはしない」というところでしょうか。「最後の人」だということは、結局「やらない」ということを表しているというわけです。
 
明日やろう、と自分に言い聞かせることはよくあることですが、その明日になったとき、また次の明日にやろうという同じ言葉を準備するに留まるのがひとの常でしょう。
 
いま、このときに、できること。それを実行するのは、決して簡単なことではありません。さあ、と言葉を投げかけて、私の腕を引っ張ってくれる伴走者がいたので、それができた、という経験は、私の宝物になりました。



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