2018年10月28日

エステル記の名場面のひとつで、エステルは捨て身で王の前に出て、ユダヤ民族を救おうとします。王に呼ばれずして出向くことは死刑に相当する(直訴のよう?)中で、ハマンを陥れるための宴会を提言するために立ち上がるのですが、そのときもし王が許可をするならば、王が笏を差し出すということになっていたと描かれています。それがお許しの徴なのだ、と。
 
日本語で「笏」というと、かつてのお札の聖徳太子像(いまは歴史の教科書には載っていない)、近年はおじゃる丸の姿を思い浮かべるかもしれません。中国ではこの字を「コツ」のように読むそうですが、日本ではその音を嫌い、長さが一尺ほどであることから「しゃく」と読み替えたという節があります。官位をもつ者が正装の場において右手にもつ板のことです。元来象牙などで作られていましたが、日本では木の板となりました。たとえば今もタキシードのとき(本来コートのときだともいう)には右手に手袋を握るといった男性の習慣があります。剣ではなくグローブを手にする私は戦うつもりはありません、という意味なのだとか。
 
笏と聞いて私もこの日本風の笏をイメージしていましたが、どうやらエステル記のみならず、古代オリエントでいう「笏」は、私たちの言葉で言う「杖」に近い形だということです。笏にあたる内容でしょうが、エレミヤ48:17には「威力の笏、栄光の杖」という語が出てきます。これは同じものを指しているのでしょう。細長い形で、一部が太くなっていたり、デザインはいろいろあったかもしれませんが、概して「杖」と呼んだ方が思い浮かべるに相応しいかと思います。
 
これは王の権威を顕すものでした。高位高官が使っていたケースも見受けられます。旧約聖書続編のエレミヤの手紙には、地方総督が笏を持っているとの記述があります。が、やはり王がその権威を発揮し、王の命令を突きつける場合に用いるというのが普通であったように見えます。
 
エステル記の王の名はギリシア語表記ので「クセルクセス」と表されていますが、かつて新改訳ではヘブル語の発音から「アハシュエロス」と訳していました(新改訳2017では「クセルクセス」)。クセルクセス1世はB.C.480年のサラミスの海戦ででギリシアに破れ、ギリシア征服はならなかったものの、エジプトを征服し、インドからエチオピアまでの広大な領土を得たペルシアの偉大な王です。その名は「偉大な王/英雄を支配する者」というような意味をもつそうです。
 
これほどの王ですから、当然笏を駆使していたことでしょう。そして金で造られていたというのも、さもありなんと思われます。また、笏の使い方が記されているエステル記は歴史的にも注目されます。ラテン語で「レガリア」と呼ばれる、王権を象徴する品のひとつで、日本だとさしずめ天皇の「三種の神器」の「草薙剣」に相当するものと言えましょう。
 
このクセルクセス王は、ユダヤ人にとっては、バビロン捕囚から民を解放したあのキュロス王の孫に相当しますから、悪くは書かなかったかもしれませんが、最期は自らの奢侈や財政の悪化などの背景の中で、側近に暗殺されたと言われています。そのときエステルはどうなったのでしょうか。
 
このエステル記の記述は、フィクションも混じっているであろうと見る人が多く、中にはすべてがそうであろうという人もいます。プリムの祭そのものの起源が少し曖昧なようにも見えますが、いまなおこの祝祭が続いていることからしても、ユダヤ人にとり大きな意味をもつと考えられていることは間違いありません。
 
エステル記は、旧約聖書続編に、ギリシア語に基づくエステル記が別にあります。基本的な同じストーリーですが、より詳しく展開しており、全国に伝えた文書がこれだと掲載されています。また、モルデカイとエステルの関係も少し違った印象を与えるかもしれません。機会があったら読んでみてください。

千明(ちぎら)初美さんという、「りぼん」を舞台に活躍していた方により、かつて『王妃エステル』というコミックスが出ていて、よくできていました。私は確か持っていたはずなんですが、どこへやら。古書では万の桁の値がついているほどのレアもの。その後改訂版が出て、表紙が替わっていました。
 
なお、千代崎秀雄先生の手による『地に降りた星―エステル記物語』という小説仕立ての物語も美しく描かれていましたが、これもまた一万円近い値がついています。お持ちの方、こちらもレアものですよ。



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