ハヤタ隊員

2018年9月30日

[大弦小弦]地球侵略を企てる宇宙人が、それを阻むウルトラマンに問う…2018年9月25日
 地球侵略を企てる宇宙人が、それを阻むウルトラマンに問う。「貴様は宇宙人なのか、人間なのか」。変身前のハヤタが言い切る。「両方さ」。ウルトラマンを生んだ脚本家・故金城哲夫さんの出身は南風原町、育ちは東京。「沖縄と本土の懸け橋になる」との口癖を表した場面といわれる
▼金城さんの生涯を描いた劇団民藝の舞台「光の国から僕らのために」が県内で上演中だ。南風原で幕が開け、10月1日まで各地を回る
▼怪獣を一方的な悪者にすることを嫌った。暴れるのにはそれなりの理由があるとの視点を忘れず、ファンタジーに昇華させた脚本で50年以上続くシリーズの礎を築いた
▼劇はそんな栄光物語にとどまらない。その後の作品で人気が低迷し円谷プロを追われ、失意のまま帰郷。沖縄でも苦悩を深め、身を滅ぼす様を描く
▼沖縄海洋博の総合演出を手掛けるも、本土資本と住民の板挟みに苦しむ。「お前はヤマトーンチュなのか、ウチナーンチュなのか」。「両方だ」との返答は弱々しい。絶望の果ての独白は「俺は、ウルトラマンじゃない」
▼金城さん役の齋藤尊史さんは「沖縄の人たちにどう受け止めてもらえるか、緊張している」と話す。金城さんを追い詰めたものは何か、彼が果たせなかった懸け橋はどうすれば築くことができるのか。本土の役者たちが問い掛けている。(磯野直)
 
先週の沖縄タイムスのコラムです。金城(きんじょう/かなぐすく)哲夫さんは、1976年に37歳のとき自宅で事故死しますが、いまなお語り継がれる伝説の脚本家です。この翌日も琉球新報のコラムに別の話題で登場していました。
 
平成のウルトラマンシリーズでは、この怪獣の人権(?)のようなことを表に出す展開をしますが、カトリック信仰から生まれたウルトラマンの中に、人間の奥底にある悪や闇に向けての問いかけを忘れない人だという印象があります。
 
ハヤタ隊員にメフィラス星人が問う。おまえは地球人なのか、それとも人間なのか。この問いが、金城さんには、自分の中のウチナーンチュとヤマトーンシュとのアイデンティティが重なっていたというのは本当でしょう。私たちも、自分とは何なのか、そんなに一様に定まっているものではないように思います。そして、思うとおりに社会を一色に染めたいグループは、そのうちの一つにどうして決めないのかと迫りがちです。でも、そんなことができるでしょうか。
 
クリスチャンは二世界を生きるという考え方が伝統的にありました。地上の国と神の国、いまはどちらにも属していますが、本籍は神の国だとパウロは考えていたと思われます。しかし、この地上での役割を軽視するわけにはゆきません。いまここに置かれた自分は、神の業の中の一部なのだという自覚が、どれほど多くのクリスチャンを励まし、立ち上がらせてきたことでしょう。
 
当然、ここでイエス・キリストの立場を私たちは想起するでしょう。「おまえは神なのか、人間なのか」と問われたら、イエスはどう答えたでしょうか。そして、その立場の中で、イエスはどういう居心地の悪さや理解されない悩みを抱えていたのでしょうか。
 
ある場面で見せているひとつの顔が、その人のすべてであるはずはないでしょう。しかし時にそれが要求されるし、また自分でもそうしなければならない、と思い込んでしまうこともあるでしょう。福音書でイエスと対立した人々は、このような「ひとつ」であるべき構図に身を置き、またそうあるべきだと他人に迫った者たちであったような気もしてきました。
 
しかし、神の前には、ひとつの顔である誠実さをもって対するしかないと思われます。一人ひとりが、神にただ向き合うしかないのだ、と。その意味で、神の国は今ここにあるとも言えるのではないかと思うのです。



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