濃く、幅のある一カ月

2018年9月12日

母を失うということは、濃く、また幅のある出来事でした。
 
確かにいわゆる闘病生活という意味では、長いものではありませんでした。病気の進行に気づいていなかったというのが本当のところですが、年齢的なこともあり、気づかないことが不注意だとするのも酷ですし、オペという手段も取りづらく、他方年齢的に急進行は避けられるのではないかという思惑もありました。しかしともかく、原因が判明してからは、回復は期待できない状態でした。
 
最初に入院した病院では、一週間の検査入院を終えるにあたり、自宅介護か緩和ケアかを選択肢に挙げました。このことを父から持ちかけられたとき、私は目を疑ったほどでした。禅寺に生まれ、キリスト教には馴染まないはずの母を、キリスト教ホスピスに容れるというのです。
 
検査入院から一カ月、ホスピスにて四週間足らず、母は比較的穏やかな日々を過ごすことができました。それについてここで殊更に述べるつもりはありません。
 
栄光病院ではお別れの会を開いて送り出してくださいました。そういう場のスピーチで笑いをとってしまった私もどうかしていますが、クリスチャンとしては、ものが言える立場にいるわけで、ここで看取ることができた奇蹟を伝えました。
 
そしてラストに、「いつくしみ深き」を、スタッフと家族で賛美したということは、感動的でした。私にとり、葬儀はこれで終わったと言える思いがしました。まさか、ここで祈っていたことがこのような形に実るとは、驚きそのものでした。
 
毎日病室に来るたびに、折り紙を折りました。息子たちが、広島から、東京から来てくれたときにも、折り紙はどうだい、と持ちかけました。また彼らは、それぞれ花のインテリアを持ってきてくれました。家に帰った後も、折り紙などはここに心として遺していくことができます。ずっと一緒に、見守っていました。ずっと、一緒でした。そして、四匹のカエルたちは、母の胸に抱かれて共に旅に出ました。
 
一カ月にわたり、覚悟は深めてきました。だから、まだコミュニケーションのとれる間に、お別れの言葉は伝えることができました。幾度も「ありがとう」と伝えました。一カ月という幅の中で、このような出来事が成就されていきました。神の手がゆっくりと及び、導いていくのを感じました。濃く、幅の広い出来事でした。幼いころ、この日のくることを、地球最後の日よりも恐れていた私でしたが、その特別な日が、ついに来てしまったのです。が、信仰があるとき、支えられるのですね。万全とまではいきませんが、倒れ潰れずになんとか立っています。
 
帰宅してひとりになり、ずいぶんとダメージを受けていた自分に気づいていたところへ、長男からメッセージが届きました。私はこれでまた救われました。この出来事で、私の息子たちどうしの、また私との関係の中に、これまでになかったものが生まれてきました。分かり合えるもの、通じ合うもの、それが見出され始めたのです。これは、母が身を以てもたらしてくれた、偉大な贈り物だったのだ、とやっと気づいたのでした。



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