福岡のホスピス

2018年9月6日

栄光病院。福岡市に隣接する、志免町に、かつて炭鉱病院としてあった病院が、院長に就任した下稲葉康之氏の祈りと働きにより、昭和の末に、キリスト教の病院として生まれ変わりました。そして、平成期に入ってのことだと思いますが、当時まだ一般的ではなかった「ホスピス」というありかたを展開します。
 
ホスピスとは、もてなす意味の語から作られたもので、中世の修道院や教会が、巡礼の旅人を宿泊させ、時に看護したことに由来します。病院を英語で「ホスピタル」というのとつながりがあります。いわゆるターミナルケアは20世紀初頭に意識されたと言われていますが、いまのホスピスの制度を基礎づけたのは、半世紀前のイギリスであったそうです。
 
その後まもなく、日本では、大阪の淀川キリスト教病院が、柏木哲夫氏により始められました。キリスト教界の理解が先行したと思いますが、社会にも次第に知られるようになりました。とにかく延命しかないという医学界の常識に、インフォームドコンセントのような考え方が認められていく中で、一人格として大切に扱われることを、少々の時間よりは優先することを是とする考え方が拡がっていくようでした。
 
栄光病院は、もちろんホスピスだけではありません。総合診療の場としても機能していますし、近年は、介護という視点が強くなり、こどもクリニック、また特別養護老人ホームと特定の分野へも力を入れています。キリスト教精神に基づく運営ですが、クリスチャンでないスタッフも多数いることだと思います。
 
しかし、病院で気づくことは、多くの笑顏、そして挨拶。医師や看護師に留まらず、清掃などの従業員からして、「こんにちは」との挨拶が絶えません。挨拶とは、なんと素晴らしい人格の交流なのだということを、改めて知らされます。知ったメンバーだから挨拶などいらない、とでもいうかのように考える人もいるようですが、そんなことはないと思うのです。互いを認め合い、平和を確認する挨拶は、きっと必要です。
 
ホスピス病棟は、必要以上に干渉せず、穏やかな日常が作り置かれています。やや心配なところもありますが、やはり自宅ケアが事実上難しいとなると、たいへんありがたい措置であることは間違いありません。聞くところによると、アメリカではその自宅のケースが多いということですが、なかなかそうした場や施設が自宅では難しく、人員も確保できないのが私たちの一般的な環境のようです。
 
ホスピスというとどうもターミナルケア(終末期医療)の響きで聞こえるようになってきたのか、「緩和ケア」という名前で優しく感じられる面もあるでしょうか。以前、教会の方を送ったとき、お見舞いに行くと、ぴんぴんしていて、それまでと何ら変わらないかのように見えたのを思い起こします。癌はからだを蝕み、時に激痛をひきおこしますが、身体が衰弱する中でも、そうした痛みがないというのなら、ホスピス病棟では静かな時が流れるように思われるかもしれません。
 
ここには「のぞみの間」と呼ばれるフロアがあります。チャペルではありますが、葬儀の会堂となります。死は終わりではない。その希望のもとに、ともに命を見つめるひとときがもたれることでしょう。そこには、意味の伝わらない経文ではなく、分かる言葉で、そして悲しみを受け止めつつも、悲しみで終わらない希望が告げられることになります。



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