イシュマエル

2018年8月26日

アブラハムの再婚の話が創世記25章に描かれています。また、続いてアブラハムの死と埋葬に至ります。また、再婚相手との間に生まれた子どもたちが6人いて、広い地域に散っていったことも記されています。この箇所に注目するために、ひとまずはアブラハムと息子イサクについて振り返ろうと思います。
 
アブラムとサライとの間には、年を経てもなかなか子どもが生まれませんでした。アブラムは相当な財産をもち、また神の声を聞いてイスラエル民族の信仰の父祖となるわけですが、とにかく子孫が与えられないことは、致命的な痛手でした。サライは自分の腹でなく、女奴隷(日本で言えば側室とでも言うべきか)ハガルにアブラハムが子を産ませ、それをアブラムとサライの子として位置づけようと画策しました。こうして産まれたのが、イシュマエルでした。
 
しかしサライの言い分としては、妊娠したことでハガルが威張るようになり、サライを見下すようなことをした、というようにアブラムに不満を垂れます。ハガルは一度そこから逃げますが、主の声で引き戻されます。そのときに、「あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」(創世記16:10)と約束しました。それでハガルは戻り、イシュマエルを産みます。ハガルとイシュマエルはこうして、主の守りと育みを与えられていたことに注目しておきましょう。
 
しかし主は、別の選びをアブラムとサライに与えました。アブラムが99歳のとき、「あなたは多くの国民の父となる」(17:4)との約束をし、契約を交わします。このとき、アブラムはアブラハムと、サライはサラと呼ばれ始めます。それぞれに意味を持たせての改名でした。そして、アブラハムがサラによって子孫を与えられるという神のことばに対して、すでに老齢の夫婦だとしてアブラハムは、イシュマエルのことかと勘違いします。が、主は一年後にサラは子どもを産むからイサクと名づけるようにと命じました。また、同時に命じられた「割礼」の儀式がここで直ちに始まります。イシュマエルはこのとき13歳でした。
 
アブラハムのもとにはさらに三人の客が現れ、サラの目の前でも、息子の誕生を予告します。一年後にイサクが誕生しました。イサクが乳離れした後、イシュマエルがイサクをからかっていた(21:9)と聖書は記します。よほどのことをしたのだろうと予想されますが、これでサラは激怒し、ハガルとイシュマエルを家から追い出します。アブラハムはイシュマエルも自分の子ですから苦しみますが、神が、イシュマエルもまた「一つの国民の父とする」(21:13)と告げたことで、ハガルとイシュマエルを手放すことにしました。ここからのハガルの絶望と、神がそれを慰め助ける場面は珠玉のシーンのひとつです。また、この場面は、女性をどう扱うのか、これでよいのか、という疑問点として、近年フェミニスト神学から特に注目を呼びかけられているところでもあります。また、この時イシュマエルが恰も幼児のように描かれていますが、ここまでの事件を辿ると、イシュマエルは10代半ばの年齢と考えられ、何かしら資料の混在か誤解が生じているように見受けられます。
 
その後サラが死に、ヘト人の土地であったマクペラの洞穴をアブラハムが正式に購入し、埋葬する場面については、先日の寄留者について語られた時に詳しく紹介されました。そしてイサクは母亡き後、リベカという嫁をもらい慰められ、兄ラバンが、次のヤコブの生涯を語るための伏線として登場します。
 
ここで、アブラハムの再婚の場面です。注目したいのは、ここで突然現れたケトラとは誰かということもさることながら、このケトラの子孫についてかなり詳しく説明がなされていることです。学問的な追究が必要でしょうが、おそらくこれらの子孫は、東の方に移住させた(25:6)とありますから、アラビア地方に散って行ったものと思われます。歴代誌上1:28-33あたりには、アブラハムの子孫の系図として、イシュマエルの子孫と側女ケトラの産んだ子らが並べられています。
 
しかし、アブラハムはイサクに、全財産を譲っています(25:6)。側女ケトラの子らには贈り物を与えています。財産と呼ぶに値しない、端金に匹敵するものでしょう。イサクはケトラの子孫とは交わることがないように、遠ざける意図が明らかにありました(25:6)。血族の争いとなると、血で血を洗う戦いとなり、全滅へと走っていくものです。顔を合わさないに越したことはありません。
 
同じように、イシュマエルとイサクも、もう会わないほうがよかったはずてす。イシュマエルは、追い出されて危うく死ぬところを、神が助けて長らえさせてくださいました。このイシュマエルにも系図があります。イシュマエルの息子たちは部族の首長としてその12人が活躍した旨、記されています。「イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた」(25:18)と記してこの系図の説明を打ち切りますが、これによると、メソポタミア文明、後のアッシリア帝国の地方で宿営したということになっています。
 
ところでこのイシュマエルの子孫ですが、神に特別に目をかけられた様子が創世記の記事には見てとられ、そしてこのように歴代誌の系図からしても一定の位置を占め、創世記の中でも大切に扱われていることもあり、イスラム教では大いに尊敬されるべき存在として扱われています。そして、アラブ人の祖先がこのイシュマエルである、という見解をとています。ユダヤ人あるいはキリスト教徒と対立するようなアラブ人ですが、ここから分かれていたのだと感慨深く思います。
 
そして最後に、なんとなく見過ごしてしまいがちですが、貴重な証言に注目してみます。「息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った」(25:9)とここにはっきり書いてあることです。イサクとイシュマエルは、ハガルが追い出されたときに、もう二度と会わないようになったはずでした。その方がよいだろう、とも思われました。しかし、アブラハムの葬式を、二人で一緒に出しているのです。
 
イシュマエルはアブラハムの長男として、本来父の名と財とを受け継ぐ身でした。そのため、イスラムの教えではイシュマエルが誇りとされているのかもしれません。イサクは旧約聖書では神による約束の子でした。アブラハムの祝福を受け継ぐ家系につながりました。二人は同時に同じところにいることができません。共に立つことができない二人でした。それが、同じ父アブラハムの葬儀において、再会しているのです。そこで争ったなどという記録はありません。そもそもイサクは、ペリシテ人との井戸の争い(26章)のときにも、争いを好まず、平和裡に解決しています。
 
本日のメッセージの中で、中村哲さんに触れられたことは深い含蓄があり、よい紹介となったと思います。火野葦平の甥として生まれ、福岡のバプテスト教会で信仰をもちましたが、医師としてパキスタンのペシャワールでハンセン病などの医療活動に従事しますが、近くの国境を越えたアフガニスタンでも活動をしました。自身はキリストの僕として働く思いがある一方、現地のイスラム教の人々を最大限に尊重・尊敬し、荒野に川をつくるという事業を敢行し、NHKではその過程が2016年(9月10日という日付は偶々だろうか?)に「武器ではなく命の水を」というタイトルでETV特集にて放映されました。中村哲さんは、井戸あるいは用水路というはたらきにより、キリスト教とイスラム教との橋渡しをしていたと見ることもできないでしょうか。
 
アブラハムやヤコブと比較して地味なイサクですが、殊平和ということにおいては、私たちはもっとイサクに注目してよいのではないかと思います。このイサクとイシュマエルとが、父の葬儀で、おそらく和解したのだと思いたいのです。イスラエルとアラブとの報復に次ぐ報復、憎しみに加えての憎しみの絶えないこの世界に、かつての二人のこの場面が、私たちに幻を見せてくれるような気がしてなりません。



アブラハムはケトラとの間に6人の子をもちました。イサクが与えられるまで、子どもが生まれないということをあれほど悩み苦しんでいたことが、嘘のように、次々と子が生まれています。イシュマエルを画策して生むものの女同士の諍いの故に追い出してしまいましたが、アブラハムとしては追い出せば母子は死ぬということを懸念したために苦しんだと思われます。いくら神の目から本筋とはされなかったとはいえ、イシュマエルもアブラハムにとっては自分の子であったからです。ところがその後、やっと与えられたひとり子イサクを捧げよという神のテストまで受けて、命懸けでイサクを取り戻した経緯があるのに、いまや6人の子です。あれほど苦労したのに、後になってみればばからしい忍耐の経験だった、そのようなことは私たちにもよくあることです。ところが冷静に考えてみれば、アブラハムはサラ以外の女性との間には、次々と子どもが生まれているわけです。後継が生まれなかった原因は、この場合、サラにあったものと推測できるのではないでしょうか(今に近い時代から、これとは逆に男性のほうに原因がある場合にそれが女性のせいにされることも多々あるので、偏見を育むことのないように読んで戴きたいと願います)。だとすれば、イサクの誕生は、サラに関する奇蹟であったことになります。サラの祝福の出来事であったことになります。結局財産をイサクに分けるというのは、当時のひとつの正当なあり方であったのかもしれませんが、サラこそが全財産を継ぐ子の母として大きな存在となることをも指しているように見えます。サラとは王女という意味だと言われますが、このサラの立ち位置というものの大きさを、改めて感じるような気がします。しかしこのサラは、ハガルに生ませろと言ったり、ハガルが妊娠すればいじめるし、どんなことがあったか書かれてはいないものの、イシュマエルがイサクにふざけたようなことでとうとう母子を荒野に追い出し、つまりは死ねと命じたわけで、人格的にあまり高貴な様子を示してはいないように感じます。マタイによる福音書では、系図の中に4人の、曰わく付きの女性の名が登場します。キリストの系図には、罪人や外国人などの「よろしからぬ」女性がわざわざ書き加えられていますが、サラの名はそこにはありません。神はサラを通して、イスラエルの信仰の系図を始めました。サラもまた問題ある一人の女性として扱われ、神はそのサラを通してイスラエルを導いたことになりましょう。このような視点から、聖書における女性の扱いの問題もさることながら、女性の祝福というものを考えてみる価値はないものか、というところに、私の想像の翼は羽ばたくのでした。



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