「寄留者の土地」 創世記23:1-4

2018年8月19日

8月12日、妻の実家に滞在している中で、諸事情のために家庭礼拝をもつこととなりました。そのために、福岡の教会で開かれている同じ聖書箇所から恵みを戴こうと思い、私が御言葉のとりつぎを致しました。この通りに語ったわけではありませんが、準備した内容をお分かちしようと思います。
 
23:1 サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。
23:2 サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
23:3 アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。
23:4 「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」
 

サラは、信仰の父アブラハムの妻です。その名は「貴婦人・高官婦人・(比喩的に)王女」という意味があるといわれ、イスラエルの母のようにも見られてうることでしょう。90歳でイサクを生むという驚きの人生を歩みますが、当時は子どもが生まれないというのは女性にとり絶望的なことでしたから、もう望みがなかった中で、子どもが与えられたというのは、大きな喜びであったことでしょう。
 
そのサラも127歳にて、この世を去る時がきました。創世記での年齢の数字はなかなか細かいものです。アブラハムは、遠くメソポタミア地方から神に呼び出されて旅をしてきました。後にイスラエルとなる地へやってくるのですが、サラが亡くなったのは、エルサレムから南にあるキルヤト・アルバであったと書かれています。これが後にヘブロンと呼ばれるようになったことまでここに記録されていますから、この語が書かれたのは少なくともモーセの時代ではありません。海抜千メートルほどの丘陵地にある町で、非常に古くから栄えていた町だとその遺跡が語ります。後にダビデ王が王となったとき、7年間ほどここを首都に置きました。
 
アブラハムの時代には、ここにはヘト人がいたと書かれています。いわゆるヒッタイト人のことです。シリヤ地方の民族で、イスラエルからすれば異教の地ですが、ヒッタイト文明は、鉄器文明を勇士、交易活動にも長けており、大きな勢力でありました。ただ、後にダビデが過ちを犯したバト・シェバの夫ウリヤがヘト人と呼ばれているように、イスラエルにとり外国人の傭兵としても使われていたとも見られ、後にアッシリアに征服されるなど、国力は弱くなっていたのではないかと推測されています。
 
アブラハムは胸を打ち、嘆き悲しんだ。男は弱い者ですから、妻に先立たれると夫はぐっと寿命が短くなることがよく見られます。しかしアブラハムは家長として、やるべきことのために立ち上がります。聖書で「立ち上がる」という表現には注目すべき価値があります。ただそこで立ち上がるだけではなく、それは、新たな気持ちで行動を起こし始めることを表します。それまでできなかったこと、しようとしなかったことを、いざ勇気を以て開始する場合に、この表現が取られることが多いのです。
 
アブラハムは、葬儀をしようと思いました。埋葬する場所が必要です。しかしアブラハムは、その地に一時的に滞在していたものの、その地の土着民とはなっていませんでした。かの地では、動物を飼う生活があると、餌になる草地を転々と変えながら、移動していく遊牧生活が通例でしたから、旅しつつ生きていたようなものでした。アブラハムの手に、埋葬する権利のあるような所有地はありませんでした。それで、土地を取得する動きに出ます。地元のヘト人たちに、埋葬のために墓地となる土地を譲ってほしいというのです。
 
ヘト人たちとの対話がこの後描写されますが、なかなかユニークなものです。アブラハムが金額を言ってくれと言うと、彼らは無料で「どうぞ、どうぞ」と言います。アブラハムは、どうしてもお金を払わせてくれと頼みます。なんだ、ただで貰えばよいではないか、と傍から見れば思われるかもしれませんが、これは恐らく商習慣というもので、売る方は一旦は「どうぞ」と気前のよい形を見せるようにし、寛容な人物であることが認められ、それでもなお買う方は、それではいけませんから払います、と言うことで、互いに誠実な人間である立場で対面するものであったと思われます。一定の信頼に基づく契約をするための、お決まりのやりとりだったのではないでしょうか。私たちの文化にも、これと似たやりとりは、ありそうですね。
 
さて、ここでアブラハムが話を切り出すときに、「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者です」と告げています。まず自己紹介として、自分の立場を明らかにすることから始めるわけですが、今日はここにある「寄留者」という言葉に注目してみましょう。
 
寄留というと聞き慣れない言葉ですが、たとえば旅人と言えば、極めて短期の寄留者ということになるでしょうか。いま実家のお世話になっている私たちがまさに、寄留者です。娘一家だというのでもちろん歓待してくれるわけですが、もしこれが見知らぬ他人だったら、泊めてあげて食事を提供する、ということなど、普通はなかなかできるものではありません。しかし中等では、こうした旅人に対して篤くもてなすというのが文化になっています。旅人をもてなす記事は、旧約聖書にもいくつも掲載されています。
 
後にイスラム教でもこれが受け継がれ、ムスリムに対する5つの義務(五行)のひとつにある喜捨(ザカート)では、貧しい巡礼者や旅行者のためにそれは使われることがあります。そこまで言わなくても、旅人をもてなすというのはやはり当地の基本文化であり、昼は気温が40度も50度もある砂漠が夜は零下にも冷える中で、保護することなくしては旅人が死んでしまうという実情もあったかもしれません。また、貿易が盛んであった文化においては、商人を大切にすることは、広く経済にも影響するものでしたから、もてなしの文化が根付いたのではないかとも考えられます。
 
もちろん、旅人や商人ばかりではありません。もう少し長期にわたりそこに住まう、地元民ではない、そういうタイプの人々もいました。ひょいとやってきた人間ではなく、しばらくの間そこに住み留まっているものの、本来の住まいではないとされているところに滞在している人々、これが寄留者です。しかし、いくらもてなすとは言っても、仲間とは見なされないような存在でした。地元の者でないという意味で、ひとつ外の人間だという目でどうしても見られることになります。そのような人のことを、日本語ではよく「よそ者」と呼びます。
 
「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者です」とアブラハムは言いました。それがここで、金を払って土地の権利を得ます。よそ者であるアブラハムが正式に土地を取得すると、もはや単なる寄留者ではなくなります。実際、後にアブラハムが死ぬと、サラの眠るこのマクペラの洞穴に葬られました。このとき、イサクとイシュマエルが共に葬ったとあるのは、互いに別々の道を歩んだ二人の人生を考えると感動的でありますが、いまはそこに立ち寄っている暇はありません。
 
アブラハムはこうして、寄留者というどこか肩身の狭い立場から、墓地の土地を所有する一定の立場を得ました。ずっと後のことですが、子孫イスラエル民族は、このヘブロンを含むカナンの地を大きく自分の土地として所有するに至ります。すると今度は、別の民族を寄留者と呼ぶ立場になります。しかしその時でも、寄留者を大切に扱うように、律法は定めました。それはイスラエル自身、寄留者であった痛い歴史があるからだというのです。アブラハム・イサク・ヤコブそしてヨセフと至り、エジプトに逃れた民族は、ヨセフのことを忘れたエジプトの政策により、奴隷として虐げられる身分になりました。しかしイスラエル民族がエジプトで長らえたために、子孫が増え、やがてカナンの地に戻ってから王国を築くようになったのです。そのため、律法の中でもそうですが、幾度も神は、イスラエルの民に向けて、あなたたちはエジプトの国で寄留者であったということを思い起こさせました。それで人々も、自分たちも寄留者として生かされてきたのだから、今度は自分たちが別の民族の寄留者がいた場合に、優しくしてあげるべきだと理解するのでした。
 
旧約聖書モーセ五書の中に37節、他の旧約聖書の中に6節、「寄留者」という訳が出てきます。どういう訳か、同じ旧約の中に「寄留民」と訳している箇所が3節混在しているのですが、このあたりも、新共同訳の翻訳が慌てた証拠として挙げられるかもしれません。しかしそれはそれとして、問題は新約聖書です。「寄留者」という言葉は、新約聖書にはただ一度だけ、次の箇所に登場します。一度しかないのです。
 
従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。(エフェソ2:19-20)
 
旧約聖書が、あなたたちはエジプトにいる時に寄留者であった、と、くどいくらいに幾度も教え示されるのに対して、新約聖書は、あなたたちは寄留者であったなどということは一度も書かれず、それよりもここにあるように、寄留者のようなよそ者ではなくてよかったね、と差別的にすら扱っています。
 
従って、新約聖書の中には、よそ者をもてなすという文化は、少しも描かれない、ということになります。すでにローマ文化の影響を受け、頑固にユダヤ文化を守るエリートを初めとするグループはともかくとして、実のところローマ的生活がベースになっていたのかもしれません。カナンの地にイスラエルの民が定着してもなお、どうしようもないくらいに繰り返しながら異教の神々にひれ伏すようになる民は、傍から見ればなんでまた馬鹿馬鹿しい、と思うかもしれませんが、生活の中で普通になっていることを否定してまで、人はガチガチの保守的な元来の信仰を貫くものではないのかもしれません。私たち日本人のクリスチャンでさえ、お正月におめでとうと挨拶を交わすといったふうに、年神を祝う習慣の中にどっぷりと浸かっている様子を見ると、必ずしも、旧約の民を見下すことはできない、と私は思うのですが、如何でしょう。
 
新約聖書の中でのこの「寄留者」の扱いは、冷たいもののように見えます。ここで寄留者は、外国人や異教を信じる者と並べられており、キリストにある兄弟姉妹、仲間や神の家族とは違うという前提で、いわば利用されている表現であるに違いありません。一時的にそこに滞在するよそ者ではなく、永遠の神の宴に同席する仲間なのである、とエフェソ書は言おうとしているだけで、そのときに「寄留者」が持ち出されているわけです。これを今の状況に重ねてみると、教会員ではない人が教会にいる時に向ける態度に匹敵するかもしれません。教会員は正式な住民ですが、一時的に礼拝に参加するだけの人は、恰も寄留者のようではありませんか。「客員」と呼んでも議決には参加できず、まして親しい仲間がいるわけでないゲストの礼拝参加者には、よそよそしい態度しか取れない場合が多々あります。私たちが里帰りしても、その地の教会に馴染めないのもそういうところからだと言えます。共に聖餐に与る仲間という意識は貴重なものだと思いますが、だからと言って、その仲間に属さない人がぽつんとしていて構わない、というかのようなあり方について、私たちは一考を要するのではないかと思わされます。
 
アブラハムは、自分の故郷を離れて旅をし、神により安住の地を与えられるまでは、寄留者として過ごしました。クリスチャンも、しばしば旅人に喩えられます。この地上を旅する人生をいま歩んでいるが、いつか神の国に招き入れられるのだと信じています。そのためには、イエス・キリストの十字架に従うのだとパウロは言います。十字架に敵対する者たちは自分の思うことを神のように扱い、この世のことしか考えていないのだと言ったことに続いて、「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3:20)と語っているのです。
 
イエス・キリストの死と復活を通して、神に赦された者となった以上は、神の国の市民権を与えられたというわけです。本当の国籍はいまや天に移されているのです。天とは神と読み替えることができるものだとすると、神の国が本国です。やがて再びイエス・キリストが救い主としてそこから来てくださるのをパウロは待っていました。いまも同じように待っていてよいかもしれませんし、いましばらくは地上で寄留者としての旅を続けているということになるでしょう。
 
その本国は、寄留者である私たちの旅の目的地です。旅のゴールです。そして、結局そこを本当の意味での故郷と見なすことが許されるようになっているのです。しかし私たちは、その旅がどこまで続くのか、また本当にゴールに達するのか、時々弱気になることがあります。そんな時、本国の大使館が、あるいはアンテナショップが、旅の途中に置かれています。――そう、それが教会です。教会は神の国の大使館として、本国の情報を発信します。そこに集う私たちは、一人ひとりが神の大使・アンバサダーの任務が与えられている、とも言えます。たとえばこの地上で虐げられている人々に共感を示し、助けずにはおれないという生き方をする使命を受けている人がいます。担当員それぞれに、違う役割が与えられていると思いますから、こうでなくてはならない、と思い込みすぎず、堂々とこの世では寄留者として振る舞ってよいのです。
 
え。もしかして、まだ少し不安がありますか。本当に神の国の市民とされているのだろうか、と? 大丈夫です。神の国の土地の権利は、イエス・キリストが十字架という代価で、その土地を買い取っています。アブラハムが土地を得たように、私たちもその土地の所有権が与えられています。あまりにも酷い、あまりにも崇高な神の命というほどの凄まじい代価ではありましたが、確かに、もうすでに代価は支払い済みなのです。あなたはその契約を交わしているのです。無視して、契約を無効にしないようにしましょう。その契約書である聖書に、いつもちゃんと目を通しておきましょう。



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