やもめ

2018年7月16日

先週の火曜日、FEBC(キリスト教放送局)の雨宮神父による「旧約聖書のこころ」で、ルツ記が取り上げられました。毎週、ヘブル語のひとつの語を取り上げ、その用いられ方を入念に挙げ、その概念を明らかにしていくという講座です。少し以前の録音ですが、実によい学びとなるので、私は放送を起こして手許に文章として遺すことにしています。
 
ルツ記で取り上げられた語は、「動詞ガーアル」でした。「責任を果たす」という意味で使われていた語でした。それは「あがなう」とも訳される言葉です。その内容は放送にお任せすることにして、私はそれを聞きながら、「やもめ」という存在について少し想像を馳せていました。
 
夫を失った女性のことです。響きがよくないかもしれませんが、聖書に出ている「やもめ」という語を用いて話を続けます。
 
女性も働くことはもちろんあったにせよ、男性を失うことは、家庭にとり厳しい痛手でした。頼りの息子を亡くした母親の嘆きにイエスが近づく姿も福音書に描かれていました。女性には社会的な権利や立場というものが確立されておらず、生活していけなくなるとされていたと説明されます。一夫多妻制も、そのやもめを支える福祉的な視点がある、という声もありますが、その辺りも歴史的変遷の中でいろいろあることでしょう。
 
旧約聖書には、このやもめに関する規定がいくつかあります。落ち穂拾いなどルツ記に表されているものも、そのための福祉的なものだったのでしょうが、逆に言えば、これがわざわざ規定されているということは、なかなかやもめの生活へなど社会が目を届かせていなかったという事実を明らかにしている、とも言えるのかもしれません。
 
だとすれば、とくにヨシュア記以来、二王国時代のユダとイスラエルとの間の戦いに至るまで、戦争が続いていた中で「やもめ」はどう扱われていたか、とても気になります。いえ、捕囚期に入るともはややもめどころではない事態になってしまうので、やもめだけの問題を特定することの意味が小さくなりましょうから、それ以前の戦争においてです。つまり、旧約聖書は度々記します。イスラエルは何万人倒れた・何千人が死んだ、と戦争の記事に平気で書かれてあるわけです。すると、それ相応の「やもめ」が千単位万単位で出現するということではありますまいか。少なくとも聖書の記録は、そのように伝えています。このとき、それらの大量の「やもめ」は、どうなったのでしょうか。
 
聖書はこうした日常生活については沈黙しています。歴史書は、しばしば権力者の歴史です。日本史でもそうですが、自分に都合のよいように、勝者や権力者が、過去の記録を抹消し、自分の部族や家系の正当性を記録します。政治的な部分だけを書き残すのが通例で、衣食住はわざわざ記録されません。風俗史は、別の小さな文献に依り頼んでのみ判明します。それは新約聖書でもそうで、私はよく引き合いに出すのですが、イエスの旅はどこでどう泊まり、何を食べていたか、それは誰がどのように供給したか、服はどうしていたのか、体は洗ったのか、何も描かれておらず、分かりません。私はたいへん関心があるのですが。
 
さて、旧約聖書の時代に戦死した男の妻たちは、その後どうしたのでしょうか。この戦死というのは、ふだんは日本の戦国時代などのように、日常は農民として働き、いざという時に武器を手にして出て行く、というのと似た中での出来事でありましょうし、もちろん、戦没者遺族への援護制度があったかなかったかなども知りませんが、そんなに期待できるものではなかったでしょう。生涯の伴侶が、社会の道具として消費され、いなくなる。遺された妻子はどうなったのか。もしも土地が女性の手に遺されたとしても、労働できるとは言い難いものであったという前提で考えると、社会の混乱をどのように士師は、あるいは王たちは、治めていたのか、たいへん不思議に思うのです。しかも、実のところ旧約聖書の前半には、それほど多くの「やもめ」という語は登場しません。用例としても、やもめを助けるというような文脈で使われることはさらにぐっと少なくなります。やもめの人生について、表向き読むだけでは、あまりよく分からないのです。
 
その他、新約聖書の牧会書簡にもかなり具体的な「やもめ」についての教会規定が述べられていますが、そこもそう簡単に解せるものではないように見受けられます。旧約時代の経済情況については、研究書を見たことがあり、やはり調べてくれる研究者がいるのだと喜んだことがありますが、宗教的な解釈もさることながら、そうした解釈が立ち現れてくる背景というものが、どうもピンと来ないことが多く、皆さまからのご教示を受けたいと常々願っているところです。



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