初期の教会

2018年6月3日

主の晩餐にも重なり、初期の教会の食卓の交わりについて礼拝で語られました。共に食事をする、というのはとても大きなことであって、それは仲間であるということを認めた者同士の場でした。創世記では、エジプト人が外国人と食卓を共にしないものだと断り書きがあるし、その他王の宴席に与るというのは、こよなく名誉なことであると理解しておくと、なるほどと読める箇所が旧約聖書にもたくさんあります。
 
もちろん、新約の時代もそうです。いまでも、「同じ釜の飯を食う」という語がありますし、「俺の杯が受けられないのか」といった、飲食に関する同胞意識は強いと思われます。その一方で、「個食」や「孤食」といった生活でよいのかどうか、という問題も指摘されている現実があります。食は、人間の生命に関する営みですから、教会で共にキリストを記念して行う主の晩餐は、傍目から見るよりもずっと大切なことと考えられてきたのです。中には、そのやり方や考え方によって、戦争や論争も起こった歴史がありますから。
 
この初期の教会は、時々「原始共産制」と呼ばれることがあります。持ち物を共有する様子が描かれているためですが、果たしてルカ(使徒言行録はルカの福音書と同じ著者と考えられている)は描写だけをしたのか、理想を記したのか、それは議論のあるところです。
 
わずか6節の間に三度も「一つに」なるという訳語が新共同訳には見られます。二つ目の46節「毎日ひたすら心を一つにして」のところは別の語で、「同じ心で」というような組合せの語でできています。44節の「信者たちは皆一つになって」と47節の「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」は、同じ語で、「同じ」の意味を表すとともに、代名詞として「自身」のように使われることのある語です。このような「一つ」と訳せる表現は、ルカが使徒言行録の5章までで8回にわたり用い、教会の結束を示すかのようです。
 
さて、今日はそのことでなく、実は「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」(2:46)に注目します。その後、祈りの時間に神殿に上っていったこと、5章では神殿に立ってイエスがキリストであると告げ知らせていたことが記されています。パウロが21章で神殿に献げ物をしようとしたところをユダヤ人に襲われ、パウロの容疑が(異邦人を招き入れて?)神殿を汚そうとしたととして24章で描かれている様子が訴えの口実となりました。パウロ自身は神殿に対して罪を犯していないと言いますが、ユダヤ人たちはパウロを、神殿の件で殺そうと謀ります。
 
もちろん神殿というのは、いまでいうユダヤ教の神殿です。キリスト教は、ユダヤ教の中から生まれました。待ち望むメシア(ギリシア語で「キリスト」)があのイエスである、と主張したわけです。ですからキリスト教徒たちは「ナザレ人の分派」(使徒24:5)などと言われ、宗教という語のない中で「道」などと呼ばれていました。しばらくの間は、ユダヤ教の一派として考えられていたことは間違いありません。
 
キリスト教は、ユダヤ教からすぐに分離した、というわけではありません。ユダヤ教のメシア(キリスト)が現れたのだよ、と懸命に叫んでいたのです。それはまさに命懸けのことだったと思われます。その中で、イエスをメシアと信じた人々の群れは、弱い人々を助けながら、多くの人々の心を掴んで、拡がっていきました。
 
待ち望んでいるメシアがついに現れたのだよ、と訴えても、律法を守らないような教えを施したイエスが、そんなメシアであるはずがない、とユダヤ教からは袋叩きに遭いました。私たちはどうでしょうか。きまりを守らないような者がいたとして、きまりを守らないのは教会にふさわしくない、と切り捨てようとしているケースがありはしないでしょうか。とくにキリスト教の大きな団体や組織の中に、そうしたケースが見られるような気がしてならないのですが、油断していると、私たちも身近なところで、自分たちが正しい、と他者を弾き出すようなことをしようとしているかもしれません。なんらかの「けじめ」は大切でありましょうが、規格に合わない信仰を否定するような、律法主義に陥る危険性を、私たちはつねに有していることを弁えていたいと思うのです。
 
「一つに」なることは、自分の思うままに「一つに」する、ことを意味するものではないはずですから。



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