ウィリアム・ホイ

2018年5月23日

『耳の聞こえないメジャーリーガー ウィリアム・ホイ』
 
絵本です。ナンシー・チャーニン文、ジェズ・ツヤ絵、斉藤洋訳。光村教育図書から、2016年に出版されています。偶然見つけた絵本ですが、感動しました。魅力的な絵でもあります。ぜひお手にとって御覧くださるように、お勧め致します。
 
3歳のときに病気で耳が聞こえなくなったウィリアム・ホイ君。ろう学校で野球がしたいと言ってもなかなか誰も協力してくれません。学校では小柄のため力を認められませんでしたが、練習熱心でした。1879年に卒業後くつの修理店で働いているとき、ある人と出会い、野球チームに迎え入れられます。当時手話は知られていませんから、口話と筆談でコミュニケーションをとりました。
 
しかし、聞こえないことで差別され、チームを替わり、また悪口を露骨に言われていることに失望して別のチームに移るなど苦労もしました。ある試合で、ストライクで三振となったのに自分では聞こえないので分からず、笑いものになった後、母へ手紙を「書く」ときに、ウィリアムは思いつきました。審判に、絵をかいて渡したのです。
 
それは、ジェスチャーでストライクやボールを知らせる方法でした。審判はそれを受け容れてくれ、それ以後、試合ではジェスチャーで判定を知らせるようになりました。ウィリアムの小柄さは盗塁で力を発揮し、やがてメジャーリーガーとなってから、一年目に盗塁王に輝きました。強肩のため、外野から1試合で3人のランナーをアウトにした記録を最初につくりました。
 
ジェスチャーで判定が分かる。これは、アナウンスも中継もない時代、観客にとっても試合運びが分かるために好評でした。もちろん、チームにとっても、サインを使うということで、作戦上有利になりました。ウィリアムはよくヒットを打ち、またフォアボールの最高出塁選手ともなり、外野手としても活躍しました。もちろん、観客は彼の盗塁を見るのが楽しみでした。
 
巻末には、ウィリアム・ホイのプロフィールが丁寧に記され、年譜も教えてくれます。1961年、99歳で永眠したその年、ワールドシリーズの始球式を務めたそうです。
 
右投げ左打ち。身長168cm、体重67kg。私より少し背が低く、少し重いくらいです。レッズやホワイトソックスなどを経て、レッズで選手生活を終えた、ろう者のメジャーリーガーひとりの力ではなかったのですが、サインを考案したのは事実とのことで、アメリカの野球を変えた貢献者であるという評価でした。
 
ウィリアム・ホイが生まれたのは、1862年5月23日。今日2018年5月23日から156年前のこの日でした。



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