コミュニケーション

2018年4月30日
アメリカ人の宣教師のお別れ会のとき、輪になった皆が一人ひとり言葉をかける機会が設けられ、ろうのKさんにもマイクが回ってきました。手話と少し話せる声とで思いを伝えたのですが、その状況について、少し補足をしたいと思います。
 
Kさんは、ここで聞くメッセージはすばらしかったと言いました。信仰暦の長い方です。そして謙虚な方ですので、メッセージについては、難しかった、というような言い方をすることがあるわけですが、それはつまるところ、何を言っているか分からないメッセージであった、というようにも理解できると私は思っています。そのKさんが、宣教師のメッセージはとてもよかった、と言い、しかも先月の話には、目を開かれたような思いだった、と語りました。
 
ろう者は、床などを通じて、音の「響き」は体感できることがあります。また、Kさんは、補聴器の助けにより、少しですが音が直に感じられます。ろう者・難聴者といっても、その原因は人さまざまで、程度も人によって違いますので、一括りにどうだと対応できないのも事実です。また、難聴者を一定の条件で集めたとして、その中で手話を使う人は実のところごくわずかである、とも言われます。そんな中で、手話を含む「ろう文化」というものも成立しているのですから、事態は複雑です。
 
Kさんは、メッセージを声で聞くことはできません。週報には聖書箇所とタイトルしかありませんから、手話通訳者の、日本手話ならぬ日本語対応手話だけがメッセージについての情報のすべてです。この場合、手話通訳者は資格をもっているわけでもなく、教会で福音を届けたい、という一心で、これまた資格をもつわけではない教会の方とKさんに学んだだけです。その通訳で伝えた、宣教師のメッセージを受け止めて、その福音を完全に理解していたのです。私たちが知らない言語の外国の教会の礼拝に出て、現地のたどたどしい日本語の通訳者が説教を同時通訳する中で、知っている話にうなずくというのでなく、全く新しい福音の光に照らされて、目が開かれる思いがした、と喜んでいるシーンを想像して下さい。それと同じことが起こっていたというのです。
 
このような中で、福音が伝わっていたのです。平日の仕事で早朝から夜遅くまで毎日へとへとになっている中、しかもその職場には手話を使える人がおらず、よほど重要なことだけがやっと筆談で伝えられるという、いわば孤独な職場で6日を過ごし、日曜日の教会だけが、やっといくらかでもコミュニケーションがとれるという生活、想像できるでしょうか。それがこのメッセージで元気を受けた、生き生きと過ごしていける力をもらった、この出来事のものすごさは、私がいくら語っても伝われないものであるに違いありません。これまでどんな辛い生活を、聴者の社会の中で強いられてきたかということを踏まえると、筆舌尽くしがたいものがあるのではないでしょうか。
 
すばらしいメッセージだった、というその一言は、聴者であれば、なんということのない、へたをすると社交辞令のような言葉であったかもしれません。しかし、この場合は真実の言葉でした。手話通訳者の手話が確実に伝えられたという、通訳冥利に尽きるような奇蹟と、もちろんそこに語られた福音の優れていたことと、そのメッセージを理解することができるように心を開かれた聖霊の働きと、そんなことがすべて相俟っていたからこそ、出てきた言葉であったに違いないのです。
 
Kさんからの言葉が終わったとき、宣教師の咄嗟の反応に、私はまた目を奪われました。それは、日本手話の「ありがとう」でした。
 
私の記憶するかぎり、賛美のときにも手話を宣教師が何かやっていたということはなかったように思います。もちろんそれを習得する余裕がなかったこともありましょうし、もしかすると、中途半端に使うことが却って失礼なことになるのではないか、という思いがあって、見よう見まねで手話をすることがなかったのかもしれません。また、通訳者がすべてをしてくれることへの信頼から、へたに手話に干渉することがなかったのかもしれません。その宣教師が、このKさんの、霊的な意義を含む感想と餞の言葉に対して、「ありがとう」を明確に伝えようと、日本手話を使ったのです。つまりは、その手話を知っていたのでした。ASL(アメリカ手話)の「ありがとう」は形が違いますから、まさに瞬時に、Kさんとのコミュニケーションの成立の証しとして、この手話を返したと言えるのではないでしょうか。
 
耳が聞こえないというのは、傍目からは分からない状態です。だからなおさら誤解されたり、不都合を強いられたりもします。今もありますが、昔は差別としてたいへん酷い仕打ちを受けていました。「受けていた」ということは、それを誰かがやっていたことになります。やっていたのは聴者です。聴者は聴者の論理で、自分が悪いことをしているという意識なしにやっていることが、ろう者にとり耐えられないような苦しみであったということが、ようやく近年になって明らかになってきました。
 
これを機会に、皆さんに少しでも想像力を働かせてほしいと思うのです。「もしいまここに耳の聞こえない人がいたら、どう思うだろうか」と。電車が突如停止して、事故のためお待ちくださいとアナウンスされたとき、どう思うだろうか。エレベータに乗ったとき、もし何か急停止してしまったとき、緊急時にはこのボタンを押すと外部と会話できますという表示を見て、どう思うだろうか。仲間と楽しい会話をしているとき、実は聞こえない人がいるとどう思うだろうか。まわりの人たちにだけ通じる話がそこかしこにある中で、自分だけは誰とも心を通わせる術がない、とその場に居続ける人がいたとしたら……。
 
10年くらい前の調査で、法的に認定された聴覚障害者は人口比0.3%だというのがありました。それは、日本のプロテスタント教会の礼拝に集う人より多い数です。また、電車一両に都市部で平均100人以上乗っているとすると、3両にひとりは法的に認定された聴覚障害者がいる計算になります。年齢からくる難聴で聞こえないなどを含めた統計は不明ですが、どれだけ膨れるか知りません。最近もまた、ミュージシャン関係でも突発性難聴だという報道がありましたが、建築現場や音響関係の仕事の中で、難を抱える人もいるでしょう。また、耳元で音楽を長時間聞くことにより、WHOは世界の若者の半数が難聴の危険にさらされていると警告しています。聴覚は一度壊されると復帰しないとされており、2018年4月からのNHKの朝ドラ「半分、青い」は病的な理由ですが、片耳の聴力を失ったヒロインが描かれていますが、片耳失聴というだけでもどういう不自由があるか、認知度が上がるのではないでしょうか。
 
手話に関心をもってくださる方が少しずつ増えてきていて、うれしく思います。そんな中、なにも、手話を使うだけがコミュニケーションではないということも申し添えておきます。手話を知らないから話しかけない、と決めることは、英語をぺらぺらと喋ることができるようになるまでは、英米人などには話しかけることはしない、と自分に縛りを欠けているようなものです。大切なことは、ひとりの人がそこにいて、何かしらコミュニケーションが必要だということです。誰にもここ教会に「居場所」がある、それが、私たちに遺されたメッセージでありました。キリストにつながっていることで、命が与えられる、それを本当だと思うならば、そこにふと寂しそうにしている人にも、これからも居場所であり続けるように、と、笑顔を向け、また言葉をかけていくように――している人もいますが、もっと、していきたいと、思うのです。




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