居場所

2018年4月29日

登校拒否(不登校)が社会問題化したあたりからでしょうか。「居場所」という言葉が、よく話題に上るようになりました。学校に限らず、会社や家庭でも、居場所を見失った人があちこちで孤立したり悩みを抱えたりするようになっていきました。また、居場所がないということを言明できるようになってきました。この「居場所」という邦訳の言葉が聖書にあるのは、「続編」に一つあるほかは、次の箇所だけです。
 
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。(ヨハネの黙示録12:7-9)
 
ヨハネの黙示録自体、ツッコミの余地が無数にあり、定説で片付けられない文書であると言えますので、いかにも謎を解いたかのような説があっても、またへたをすると邦訳そのものにしても、そのまま鵜呑みにしないほうがよいでしょう。ただ、書かれた当時のクリスチャンの一部が置かれた情況を反映していることは事実であり、とくにローマ帝国の支配の中でどのようにユダヤ人としてのアイデンティティを保っていくのかという点は、大きな意味をもつものであることでしょう。
 
竜は、サタンなどと説かれており、福音書などでも幾度か登場することでサタンは知られています。その正体をどう説明するか、となると、これも簡単には決められず、古来様々な神学や哲学が議論しては反対意見を呼び、論争となってきました。ただ、天にはサタンの居場所がなくなった、と記されていることは確かです。しかし、彼らが天にいるための場所がなくなったのならば、天は誰のためにあるのでしょう。
 
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」(ヨハネ14:1-4)
 
天が父の家であるという理解は許されるものでしょう。そこには住む場所がたくさんあり、もしなかっとしても、イエスが場所を用意しに行き、クリスチャンたちのところに戻ってきて、連れて行くというのです。そしてそこへ続く道は、クリスチャンならば知っているとも言われています。これに続いて、トマスの質問を挟んでイエスはこう応えます。
 
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)
 
居場所があること、そしてそこに続く道があり、それはイエスであることを確認しましょう。その天の居場所については、予約待合室が地上にあります。そこでは完全な住まいそのものではありませんが、十分そこでの生活のための準備をすることができます。訓練もあるし、愉しみもある。人間の感情には揺らぎがあり、浮き沈みがあるかもしれませんが、いつでも、その待合室が、あなたのための席を空けています。言うまでもなく、そこが教会です。教会は、あなたのための場所があるところです。というよりもむしろ、あなたがいないと、教会が成り立たなくなってしまうのです。



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