バビロン捕囚

2018年3月4日

B.C.605年に、バビロニア帝国がユダに侵攻し、ユダは属国となります。帝国の王子であったネブカドネツァルは、要人をいくらかバビロニア帝国に連れて行きます。その後エジプトの支援を受けて、ユダ王国は立ち直ったかに見えました。なお、聖書でバビロニア帝国の首都バビロンの名がよく使われますが、同じような意味で用いられている場合が多く、また当地の人々をカルデア人とも読んだため、カルデアという語もまた、バビロンについてのことだと理解することができます。
 
しかしB.C.597年、王となったネブカドネツァルが再びエルサレムを包囲します。時の王ヨヤキンは投降し、万を数える要人がバビロニア帝国に連行されます。普通はこの出来事を「第一次バビロン捕囚」呼びます。ユダには傀儡政権としてゼデキヤ王が置かれます。この時の物語は、第二列王記でもよいのですが、エレミヤ記にダイナミックに描かれています。
 
預言者エレミヤは、バビロンにおとなしく従っておけば70年を経て国土は回復する、と主張しました。しかしエジプトを頼みバビロニア帝国に反抗したゼデキヤ王は酷い仕打ちを受け、B.C.586年についにエルサレムと神殿は粉砕されました。貧民を除く民が悉くバビロニア帝国に連行されるに至り、これが最大の破壊の出来事となりました。
 
70年というエレミヤの告げた年数はかっきりではありませんでしたが、ほぼその期間を経て実現に至ります。B.C.539年にペルシア帝国がバビロニア帝国を滅ぼします。時の王キュロスは、強制移住のような政策では支配地の反乱を呼ぶとして、それぞれの宗教をも守らせることにしました。この勅令により、バビロニア帝国に縛られていたユダヤ人たちは、帰還の途につきます。もちろん、異国の地に留まることを選択した人々もいましたが、かなりのユダヤ人が祖国に戻ったと思われます。
 
帰還はB.C.538年に始まりました。人々は神殿再建を図りましたが、長期を経て帰還した人々が歓迎される訳ではなく、ユダヤの地に住み着いた者たちから妨害を受けます。しかしやがて、以前よりは小さくなったとはいえ、復興の象徴となった神殿が完成します。これを以降、「第二神殿」と呼ぶことになります。
 
当地の都市あるいは「町」というのは、城壁に囲まれたものをいいました。外部から遮断されて守られていなければ、平和が保てなかったのです。特に旧約聖書を読むときには、この城壁というものを思い描きながら読まないと意味の分からないところが多数あります。エルサレムは、復興したとはいえ、しばらくの間はこの城壁を築くことができませんでした。長い時間を経て、城壁が再建されたといわれています。
 
このあたりの事情が、エズラ記・ネヘミヤ記に描かれています。このエズラとネヘミヤの時代については、学説が対立し、歴史的にどちらが先であったのかさえ、いまひとつはっきりしないとされています。他方また、預言者ハガイが、その時の様子を言葉にしています。

バビロン捕囚の期間、ユダヤ人たちは強制的な労働を強いられていたと考えられています。バビロニア帝国の傷んだ地域の復興のために働く労働者とされたのです。しかし、私たちがへたに想像する奴隷のようなイメージとは違うと思われます。居住の自由や職業選択の自由がなかった、というあたりでしょうか。また、宗教的にも当地の宗教や習俗に染まるものとなっていったのではないでしょうか。
 
他方、捕囚のイスラエルの民の中には、宗教的に純粋さを求める人々も多数いました。この異邦の地で、自分たちのアイデンティティを考えさせられたものと思われます。いったい自分たちはどこから来たのか。自分たちの信じているものは何なのか。徹底的にそこに絞り込まれた思考は、ある意味で研ぎ澄まされた純粋な信仰に向かいます。そして、聖書の重要な少なからぬ部分が、この捕囚期に書かれた、あるいは調えられたと推測されています。
 
普通なら、戦争で負けた国が信仰していた神は、棄てられました。神がいるなら何故負けたのか、と責められると、反論できないわけです。また、新しい支配者の言うことを聞かなければならなくなりますから、元の神を信仰することもできません。ところがユダヤ人は、イスラエルの神を棄てるどころか、いっそうそこへの信仰を強くしました。つまり、戦争で負けたのは神が悪いのではなく、神を信じなかった自分たちイスラエル民族が悪かったのだ、という考え方を根底に置き、いっそうこの神への信仰を強くしたのです。
 
イザヤ書は、旧約聖書の預言書の中で最大のもので、66章を数えます。この数は、旧約聖書39巻・新約聖書27巻の和とちょうど同じであるため、中には、イザヤ書が聖書の巻それぞれに対応した福音をもっている、と説く人もいます。
 
イザヤ書の描く歴史的背景は、まず紀元前8世紀に基づきます。南ユダ王国の滅亡から復興までの壮大な歴史を物語ります。そのままひとりのイザヤが記したと理解すると、捕囚からの帰還の姿を描いているのは未来の予言となってしまいます。預言も予言も「よげん」と読みますが、後者が未来像を描くのに対して前者は神の言葉を預かるという意味で、必ずしも未来の予告ではないという理解が通常なされます。もちろん、かつて預言者も「先見者」と呼ばれていたという証言はサムエル記にありますが、まずは神の言葉を記すとしましょう。すると、このイザヤ書の中には、明らかに捕囚前の歴史と、捕囚後の歴史とが混在することになります。
 
そこで、研究者はイザヤ書を丁寧に調べ、40章から後は、最初のほうの記者とは異なる人物が、捕囚後を知る者として描いたと結論づけました。古代では、個々人が著作権をもって執筆するのでなく、偉大な先人の名を用いて書物を記すことも当然でしたので、最初のイザヤのスピリットを受け継いだ、新たなイザヤが続きを記したとするのです。これを「第二イザヤ」といいます。さらにまた、詳しい研究が進むと、56章以降をさらに区別して、「第三イザヤ」と位置づけて読むべきだという声が現在広まってきています。
 
41:9-10は特に有名です。第二イザヤはその前の40章から始まりますから、ぜひ一度40章からお読みください。この40章は、忘れもしない、映画「炎のランナー」でエリック・リデルが、日曜日だからとレースを棄て、教会で聖書を開いたそのときに読み上げた聖書個所でした。そして41章はこの9-10節において、現在の私たちにも、助けとして支える強い言葉を投げかけてくれます。ここは、牧師や伝道者になるようにと神が人に声をかける、いわゆる「召命」を受けたと証しする時に、よく聞く言葉でもあります。



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