節分

2018年2月3日

節分とは元来、季節を分ける意味があると思われ、年に四度あります。立春・立夏・立秋・立冬の前日がすべて節分です。地球が公転する中で、それぞれの季節のゾーンに入る日に「立」の字が付き、その前の季節の最終日が節分です。
 
かつては立春を以て年の初めとしていましたから、年の最後の日の節分が、この立春の前日となります。季節の変わり目に襲ってくるという鬼あるいは邪気を払う悪霊退散のための儀式があったようですが、平安期から宮中で行われていた追儺(ついな)の儀が旧暦の大晦日のこの日に行われるというので、この節分に、その追儺の厄除けのような意味で、鬼を払うこととつながっていったというような大筋があったと思います。
 
邪気を祓うには穀物がよかったようで、豆が使われたというふうに言われています。恵方巻きの丸かじり寿司は、私が京都にいたころ、関西で徐々にポピュラーになっていった習慣で、バレンタインデーのチョコレートのように、あるいは土用の丑の鰻のように、食品販売戦略であったのではないでしょうか。21世紀になり全国的に定着していくようになったようです。
 
しかしこの節分の日、大量の巻き寿司が廃棄されているという、写真入りのショッキングなニュースが流れました。食品というものは安全確保上、廃棄物が出ることは(その良し悪しはともかくとして)当然であり、その損失を見込んで価格が決められているというのも常識であるのですが、いわばどうでもいいようなお遊びの具としての食品が無駄に捨てられていくということには、人々の良心の呵責を誘うものがあったのではないでしょうか。
 
不衛生や賞味のひどく劣るものでなければ、これだけの食品を提供することは、子ども食堂の比ではないかと思われます。そうした使い道を最初から用意できないものでしょうか。
 
ふと、芥川龍之介の「煙草と悪魔」を思い起こしました。牛商人の魂を奪おうとイルマン(宣教師)に化けた悪魔が、煙草を育てていたところ、切支丹の牛商人がその植物の名を知りたがります。悪魔は、名を当てたら煙草の種をやるが当てられねば魂を貰うと約束します。悪魔だと分かったのも後の祭り。牛商人は後悔しますが、ある賢い方法を思いつき、それが煙草という名前であることを知ります。こうして命を懸けた勝負に勝った牛商人は煙草の種を得たのでした。但し、ここで龍之介が最後に顔を出します。煙草はこうして日本中に広がったのだが、果たしてこの勝負、どちらが勝ったか知れないというのです。
 
どうにも私は、こうした欲望のなせる業は、まんまと鬼をほくそ笑ませる事になっているのではないかという気がしてなりません。鬼を追い出したようで、実は鬼の思いのままに人間は支配されているのではないか、と。



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