終わりが終わりでないということ

2017年12月12日

今年も一年があっという間に過ぎたような気がしている……そんな人は多いことでしょう。年齢を重ねてくると、時間の経つのがますます早くなっていく、そう感じる声は、古今東西聞かれます。多くの経験をするときに時はゆっくりと流れ、新たな経験をしない、換言すれば新たな情報をサーチすることなく過ごすならば、時は早く過ぎていくように感じる、という説があります。心理的にそうであるのみならず、情報学の方面からもそういう声を聞いたことがあります。また、物理的に宇宙が実は時間を急かして動いている、というような物理学者の考えを聞いたこともあります。しかし、そのメカニズムが解明されているわけではないでしょうから、いろいろな考え方が提出されています。私もそこに、一石を投じてみましょう。
 
単純化するために、ここに10歳の人と50歳の人とがいるとします。いま、一年前から今日までのことを振り返っています。10歳の人にとっては、人生の10分の1です。50歳の人にとっては、それは50分の1です。自分の人生をもとにする(分母にする)とき、この1年という期間の占める割合が5倍も異なっています。50歳の人にとりその割合が5倍小さいということは、自分の中では相対的に短いものであった、と感じることになります。
 
また、平均寿命(余命とすべきでしょうが単純化します)が80歳だとします。10歳の人にとっては、過ぎた1年が、これから先70回繰り返されると見越せることになります。50歳の人にとっては、30回繰り返されると見通します。自分に残された時間を考えるとき、この1年がずっと重く感じられます。時間感覚としては短くしか思えないのに、その重みは10歳の人より何倍も重いわけです。同じ1年間は、自分の経験の中では割合が小さいのに、残された未来の中では大きな位置を相対的に示すことになります。過ぎ去った短い1年間が、なんと貯金を無駄遣いするかのように消えていったことだろうという心理になるとすると、よけいにその時間を短いものと感じます。未来の時間の中に投影するとき、未来の短さが、確実に減りゆく人生の時間としてはかなく思われる、人生は短いという思いがよく強くなることによって、早く過ぎ去る時間を意識するのではないでしょうか。
 
しかし、落胆には値しません。ここには特に後半、仮定がありました。人生80年という枠を勝手にこしらえていたことです。人間には明日が分かりません。明日、否今日終わるかもしれません。それは、確率的なことはどうであれ、10歳の人にも50歳の人にも、そこにいる一人の人としては、こうだと決まっているわけではありません。10歳の人も、明日の命かという構え方をするならば、時間が早く過ぎると思うかもしれないし、また重い、濃い今日を生きることになるかもしれません。50歳の人も、明日と思えば、通常以上に意味の深い今日を生きることになりうるでしょう。
 
人間には、いつ来るとは知れぬ終わりを想定しながら、そこに思いを向け、そこからはじき返された人生を思うことができる。ハイデガーは、自分の死を想定することで、そこへ向けた視線が跳ね返るようなイメージで、時間性を見出すとき、人間は本来的なものになれると説きました。そうでなく、まわりのことに気を取られたりその場限りの満足にへらへら生活しているようなあり方は、いわば自分を見失い、ただ流されているだけのようなものだというようにして、対比させるのでした。しかしこれはまた別の構想の中で言及したようなものであり、このことを言いたいがためにハイデガーは本を著したのではありません。実際、何も哲学の力を借りずとも、心ある人にはこのようなことは常識のようなものだとは言えないでしょうか。
 
新約聖書には随所に、終末意識が現れています。まさに、終わりを想定したところで、今の自分の生き方を見つめるという視点があるはずです。但し、ハイデガーと違うのは、いまここに永遠を見るミステリーがあること。だから死が終わりではないという理解。それは、徹底して自分がひとりで立って生きているというようなものではなく、自分の外から来るものを信頼するというあり方から導かれるものでした。終わりが終わりであっても、終わりではないという奇妙な理解を、クリスチャンは心得ていると言えましょう。
 
きょう、かたくなになってはならない。
 
だから今日のうちに、怒りも捨てて、優しい気持ちでありたい。いまこのとき生かされていることをありがたく受け止め、できれば明日の自分や愛する人たちのために、自分を大切にしていくことも忘れないようにしていたい。終わりが終わりでないということはそれでよいとして、ひとつ間違えると、終わりでなくてよいものが終わってしまう、ということになりかねませんから。


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