神殿

2017年8月4日


Wikipediaによると、紀元70年8月4日に、ローマ帝国軍がエルサレムの第二神殿を破壊した、と書かれています。暦のとりかたにもよるでしょうから、本当にこの日なのかどうかは分かりませんが、ヘロデの第二神殿が破壊され、この後一部のユダヤ人がマサダ砦に立てこもり、その殆どが命を絶つことになります。
 
ユダヤ人はいくつもの悲劇を重ねてもっており、その歴史が聖書という形で残り、知られているというのは特異なことかもしれません。ティシュアー・ベ=アーブと称される、とくに悲しい記念日があるそうですが、神殿が幾たびも破壊されたことを嘆き悲しむのでした。
 
マサダの物語については、映画もありましたが、日本の教会ではあまり表立って語られないような気もします。まして、キリスト教徒がユダヤ人をどのように扱ってきたかということは、なかなか伝えられません。若いクリスチャンたちにも、こうした歴史は伝える必要があるのではないかと強く感じます。
 
一方では、アジア太平洋戦争における様々な戦争責任の問題を、強く論じ運動するグループがあります。8月号の『福音と世界』(特集=象徴天皇制・国家・キリスト教)には、天皇の責任に触れた文章もありました。しかしキリスト教会自身のうちに責任があったという認識がメジャーになるまでには、それ相応の時間がかかっていると聞きます。
 
私たちは、他人の目の中の塵を払い除けることには熱心になりますが、自分の目の中の梁にはとんと気づかないものだ、福音書のイエスはそのように告げました。三浦綾子さんは、自分と他人とでは計る物差しが違う、と繰り返していたと思いますが、全くその指摘はその通りなのであって、私たちはよほどいつも心していないといけないものだと感じます。
 
そうでないと、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちのうちに住んでいることを知らないのですか」と問うパウロに対して、そんな神殿は破壊されてしまった、と呆然と答えることしかできなくなるかもしれません。

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