◆テロップの多さについて

 テレビ画面に、やたらとテロップが流れるようになったことについて、以前、「テロップが奪う思考力」というコーナーで考えてみた。  他人の解釈に身を任せてしまうことの危険性を、そこから考えた。
 それはそれで一つの考え方なのだが、最近、別の「なるほど」と思わせる意見に出会った。
 家族何人かでテレビを見ていた頃には、そんなテロップは必要なかった。誰かが笑うとか講釈を垂れるとかで、独りで見ていたのでは理解できない部分も、互いに補い合うことができていた。
 ところが、今やテレビは独りで見ている。自分だけでは、理解できない部分がある。それを分かりやすく解説してやらなければならない。あまつさえ、ただの笑いについても、単独で笑うというのでは心もとないから、誰かのリアクションが求められているのだともいう。皆と一緒に笑っている、という安心感が得られるというのである。
 そう言えば、いわゆるバラエティ番組というもの、芸能人のゲスト出演者がいやに多い。あれも、皆で笑えば怖くない、という雰囲気を作っているのだろう。
 一人の語り手がじっくり画面から語りかけ、視聴者がそれを正面から受け止めて考える、という番組は、もはや地味でありあまり用いられない。例外的なのが、NHKであろうか。ここには、このタイプが多い。
 それを、NHKの一部で不祥事があったがゆえに鬼の首を取ったように、だからNHKはつまらない、などと正義の立場から声を上げるとなると、これはますます、自分の思考を捨ててしまったことになるのかもしれない。
 このように、考えを深めさせてくれる意見に出会うと、うれしくなる。
つぶやきの カ・ケ・ラ


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