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監視カメラ
びっくり聖書解釈
街角に監視カメラを設置するのは是か否か、よく話題に上ります。
賛成派は、犯罪の抑止効果があるという意見です。
反対派は、プライバシーの侵害にあたるという意見です。また、いつも誰かに見られていること自体、気味が悪いともいいます。
ダビデの詩に、次のようなものがあります。神は自分を悉く知っているというのです。そもそも神は私たちのすべてをご存知です。監視カメラどころの騒ぎじゃありません。
それは怖いことのようにも感じるかもしれません。が、何もかも完全に知られているというのは、安心感の根拠ともなります。たとえば小さな子が親に全幅の信頼を寄せ、安心していられるのは、自分のことを分かってもらっているという前提があるからではないでしょうか。
人間が知識の果てまで知り得たとしても、それでもなお、神の掌の中にいるだけなのだ、とダビデは告白しています。それゆえに、この詩の最後で、「私をとこしえの道に導いてください」と願うことができるのです。
ならば、この監視カメラの存在を、福音としてもっとお知らせしてよいのではありますまいか。
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
(詩篇139:1-3/新共同訳-日本聖書協会)
た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド