【メッセージ】飢饉から復活へ――エリシャ(12)――
2026年11月1日

(列王記下8:1-6, 使徒26:8)
エリシャは、かつてその子どもを生き返らせたことのある女に言った。「あなたは家族と共にここを立ち去って、どこか身を寄せられる所に移りなさい。主が飢饉を起こされ、この地にもそれは七年間続くからです。」(列王記下8:1)
◆世界を変えた日
11月1日は、西欧では何の日でしょう。万聖節と呼ばれる、キリスト教のお祭りです。このお祭りに集まる人の目につくように、前日にルターの提言が公表され、それを発端として宗教改革が始まった、と言われています。そのため、10月31日をプロテスタントは、宗教改革記念日としています。
プロテスタントにしろカトリックにしろ、復活を信じないキリスト教はありません。信じないとすれば、キリスト教の顔をいくらしていても、偽物です。私たちはもう3か月もの間、旧約聖書の預言者エリシャについてお話ししてきています。今日はその復活そのものではないにしても、復活に関わるエピソードに触れてみようと思います。
10月31日はハロウィンですよ、と言う人もいることでしょう。ケルト民族の祭りに関係していると思しきハロウィンの習慣は、その仮装ぶりばかりが若者の気に入り、日本でも近年真似をするようになりました。なんでも騒げるきっかけがあればよいわけでしょうから、祭りのスピリットやエッセンスというものは、何も気にしない点、日本という風土は変わらないものだな、と感心します。
しかし万聖節の精神がハロウィンと融合した、という事情もあるでしょう。Hallowという語そのものが、聖とする意味をもち、殉教者の霊に関わるようなところがありますから、つながっていったのかもしれません。そうした考察は、専門の方にお任せしましょう。私たちは、それが日本の「お盆」に近いような受け入れ方があるようであること、そして特にカトリック教会ではそれを大きく取り上げて死者を偲ぶ祝祭とすること、それを心に留めておくことにします。
1755年の11月1日、この万聖節で賑わうリスボンの町に、大きな事件が起こりました。当時世界最強とも見られていた、ポルトガルの首都でした。午前中、推定でマグニチュード9.0クラスの地震が、ポルトガル沖で発生しました。揺れは数分間にも及んだと伝えられています。
激しい地割れが生じ、人々は、当時安全と見られていた海や川の方へ避難します。そこへ、数メートルから数十メートルとも推定される津波が押し寄せました。火災も相俟って、数万人の死者を出したと見られています。私たちは、東日本大震災でそのような情景を見ました。ただこのリスボン地震は、いうなれば東京に匹敵する場所でした。
世界の覇者とも見られていたポルトガルは、ここから凋落してゆきます。そればかりか、カトリック教会の祭りの最中に大患難にも見える災害が生じたことで、ただでさえ近代思想の勃興に苦労していたカトリック教会が、急激にその信仰による支配を失ってゆくのでした。
もちろん被害はポルトガルだけに収まりません。ヨーロッパ全体が疲弊し、世界史に大きな変化をもたらすこととなりました。精神的にも、信仰への疑念が、啓蒙主義から自由主義へと連なるような、理性万能観の世の中に大きく舵を切ることとなりました。
このリスボン地震については、高校の世界史の学習では、決して大きく取り扱われません。そこで一般社会でも認知度が比較的低い歴史的事件のひとつとなっています。でも、政治や経済、思想や宗教に、最大級の影響を与えた災害であったと言えます。現代史へとつながるためにも、絶大な意味をもつ災害でした。
もしあまりご存じない方がいたら、この後早速ちょっとでも検索して戴きたいと思います。これについて私は少なからぬ関心をもっていたので、語り始めたらまだしばらくお喋りしてしまいそうです。もちろん、いまそんなことはしませんが。
ともかく、世界史を変えた日として、この11月1日を記憶しておいてくだされば、と願います。
◆七年間の飢饉
先週と比べて、今週の聖書箇所は短すぎます。そのため、いつもよりさらに話が遠く回り道をすることがありますが、ご容赦ください。その第一歩は、必ずしも今回の主軸とはならないかもしれない、「飢饉」ということです。作物が穫れず、食糧難が生じることです。
飢饉。日本史では、天保の改革のときに関連して覚えていたような気がします。「享保」「天明」と並ぶ「江戸の三大飢饉」の最後のものが、「天保の大飢饉」でした。冷害や水不足などのために、深刻な農作物への影響が出ました。餓死者は数十万人いたのではないかと推定されています。もちろん、米価を始め経済的な問題がこれにより発生し、大塩平八郎の乱はこれに関係していたと思われます。
エリシャの話に戻りますが、「かつてその子どもを生き返らせたことのある女」と、どんな形で再会したのか、詮索することはやめておきましょう。ただエリシャは告げました。ここがやがて飢饉になること、それが七年間続くこと。だから、どこか別の土地に移り住んだ方がよい、というアドバイスでした。定かではありませんが、恐らく、飢饉は水不足によるものであり、降水が期待できる南の地方に移ることが提言されたのではないかと思われます。
聖書をいろいろお読みの方は、これだけの内容で、思いが及ぶ記事があるのではないでしょうか。
飢饉が七年間に及んだという記事は、創世記のヨセフの夢に関して思い起こされます。エジプト王の見た奇妙な夢の意味を、エジプトに拾われたヨセフが謎解きます。
今から七年の間、エジプト全土に大豊作が訪れます。しかしその後、飢饉が七年続き、エジプトの地に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉がこの国を滅ぼしてしまうのです。(創世記41:29-30)
七年間という数字は、神の完全数であり、必ずしも七年間とは限らず、もう十分に飢饉で厳しい目に遭った、というように捉えることも可能でしょうが、物語は事実七年間を指しているように読むことができます。
飢饉の備えをヨセフの指導でしたために、エジプトは生きながらえるどころか、備蓄された食糧を売ることで、近隣諸国から富を得ることができました。また、そのことでカナンの地にいたヨセフの父や兄弟たちがエジプトを訪ねてくることになります。そしてヨセフとの再会を果たすとエジプトに移り住み、その後のモーセの出エジプトの背景をつくることとなりました。
七年間の飢饉には、もうひとつ思い起こした方がいるかもしれません。ダビデ王が失策を犯したとき、神は何らかの罰を与える必要がある、とされたようです。ダビデはその罰を選択してよいことになりました。
ガドはダビデのもとに来て告げた。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三か月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか。よく考えて、わたしを遣わされた方にどうお答えすべきか、決めてください。」(サムエル下24:13・新共同訳)
聖書はどうも、飢饉というものを、どうしても七年間与えたかったようです。神がダビデの罪に対する罰として選択させようとしたもののうちの一つは、そうした七年間の飢饉なのでした。
◆聖書の中の飢饉
「飢饉」そのものは、聖書に実は随所で登場します。エリシャの足跡の中にも、飢饉のときの鍋の話がありました。いまでも農業生産に問題が起こることがあります。農業技術の点でも、天候の予測に関しても、古代では作物の収穫は、現代とは比較にならないほどに不安定であったことでしょう。
たとえばアブラムがエジプトに足を伸ばしたのも飢饉のせいでした(創世記12:10)し、その子イサクのときにも似たことがありました(創世記26:1)。創世記のヨセフの物語に於いては、「カナンの地にも飢饉が起こった」(創世記42:5)と記録されていました。そのために、ヤコブはエジプトに息子たちを送り、ヨセフと再会する道が開かれ、イスラエル人がエジプトに広がる第一歩となったのでした。その飢饉は、新共同訳に於いては「この二年の間、世界中に飢饉が襲っています」(創世記45:6)と言われています。但し聖書協会共同訳では「この地で」と訳されています。その後は「地球」とも「国」とも「土地」とも訳すことができるため、さすがに「世界中に」というのは大袈裟だと思われたのかもしれません。
時代が下がってルツ記になると、ナオミたちがユダのベツレヘムからモアブに移りますが、その理由も、飢饉のせいでした。
士師たちが世を治めていた頃、国で飢饉が起こったので、ある男がユダのベツレヘムからモアブの野に身を寄せようと出かけて行ったことが書かれています。妻と二人の息子が一緒であったそうです(ルツ1:1)。
ダビデの時代には、サウルのせいだという述べ方で、飢饉が三年間起こりました(サムエル下21:1)。そして先ほど挙げたように、預言者ガドから、ダビデへの選択肢のひとつとして、飢饉が挙げられました(サムエル下24:13)。
後の預言者エリヤがアハブの前に出たとき、サマリアの町は飢饉に襲われていました(列王記上18:2)。そしてエリシャが鍋をこしらえたときの飢饉の話は、五週間前のこの場で詳しく語らせて戴きました(列王記下4:38)。
◆最後の飢饉の記録
しかしこのエリシャの時代の後、聖書では、飢饉というものが、なかなか描かれなくなってきます。言葉は出てくるのです。しかしそれは、専ら預言者の言葉の中です。神に背くならば飢饉になるぞ、との脅しのような使われ方をするばかりです。
聖書での「飢饉」の語の出現としては、最後に幻として黙示録の中で締め括られます。
そして見ていると、青白い馬が現れた。それに乗っている者の名は「死」と言い、これに陰府が従っていた。彼らには、剣と飢饉と死と地の獣とによって、地上の四分の一で人々を殺す権威が与えられた。(黙示録6:8)
舞台を旧約聖書続編に向けると、知恵の中で現れる他には、マカバイ記第一に、実際の飢饉の事実が描かれました。
この頃、非常に大きな飢饉が起こり、国を挙げてこの者たちの側に寝返った。(マカバイ記一9:24)
このことでイスラエルがその指導者に従わなくなり、かつてないような苦しみの時代を迎えたことが記されています。
新約聖書では、旧約聖書の預言者が、神に敵対するならば、飢饉で死ぬぞ、と脅したのと少し似た形で、イエスが世の終わりの風景として飢饉を取り上げたことがありました。「また、大地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や天から大きな徴が現れる」(ルカ21:11)というような感じです。終末を預言した、「小黙示録」と呼ばれるようなところです。
少し変わったところでは、イエスの、あの放蕩息子のたとえの中に飢饉が登場しました。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。(ルカ15:14)
イエスの語った見事な物語は、この飢饉のために、方向を換えたのでした。新約聖書では手紙の中で飢饉には触れられていないのが不思議ですが、私たちも方向を換えて、再びエリシャの場面に戻りましょう。これが、実質的に飢饉について歴史的に触れられる、聖書で最後の場面です。
1:エリシャは、かつてその子どもを生き返らせたことのある女に言った。「あなたは家族と共にここを立ち去って、どこか身を寄せられる所に移りなさい。主が飢饉を起こされ、この地にもそれは七年間続くからです。」
2:この女は直ちに神の人の言葉どおりに行動し、家族と共に立ち去り、ペリシテ人の地に七年間身を寄せた。
注目すべきは、女がエリシャに従ったことです。しかも直ちに、です。そして、七年間の飢饉が終わりました。女は、エリシャの助言にずいぶんと感謝したことでしょう。七年間と一口に言いますが、長い長い期間であったはずです。
◆死人を生き返らせたこと
飢饉の間は、生きていられました。しかし、飢饉が終わり、元の地に戻ってきたとき、トラブルが発生したようです。あらましを最初に捉えておくと、そのトラブルのために女は訴えを起こします。「王に訴えにやって来た」というのですが、制度的にどうだったか分かりません。一介の女がひとりで、王の目の前に直訴することができたのかどうか、私には分かりません。とにかく、「七年たって、彼女はペリシテ人の地から戻り、自分の家と畑のことで王に訴え出た」と書かれています。
事情についてはただの想像ですが、後で王が言い渡した内容から察するに、自分の土地があって、それを誰かに貸していたようです。しかし飢饉から戻ったら、借りていた者がその土地を返さないと言っている、そういうことだといま仮に推測してみます。また、土地の収穫の幾らかを、その地主の女に支払うという契約もあったかのようです。
土地は七年毎に休ませる、というような律法の規定と何か関係があるのかもしれません。が、女としては約束が違う、ということになります。
この訴えの場面に、これもまたドラマチック過ぎますが、エリシャの従者だったゲハジが偶々そこに居合わせたように書かれています。ゲハジは、王に頼まれて、預言者エリシャはどんなことをしたのか、と問われていたように見えます。王が呼び寄せていたのです。
このゲハジ、ナアマンのときの不始末があったために、エリシャの前から姿を消したかのように思われましたが、まだエリシャの許にいたのでしょうか。ただ、ナアマンのあの事件は、この列王記の記事からすると、この女の子どもを生き返らせた後のことですから、たとえエリシャの許を去ったとしても、かつてエリシャが何をしたのか、王がゲハジに問うたとしても、あり得ないことではないかと思います。
イスラエルの王は、エリシャについての情報が欲しくて、かつてエリシャの従者を務めていたゲハジを呼んで、情報を聞き出していた――と仮に想像しておきます。目的あってのことでしょうが、いまこの場面ではとやかく言わないことにしましょう。
ゲハジは、「エリシャが死人を生き返らせたこと」は、確かに知っていたわけです。それを王に証言していた、その現場に、その死んでいた子どもの母親が、偶然に王の前に現れた、というように読めます。
「王様、こちらがその女で、こちらがエリシャが生き返らせた子どもです」とゲハジが言いました。なんという奇蹟なのでしょう。なんとドラマチックなことでしょう。
王にしてみれば、ゲハジの証言が真実であるということを、ここで目の当たりにしたことになります。なんだかうまくできすぎているような気もします。詐欺グループが、仲間の一人に警官役をさせて、ほら警察もこう言っています、と言って騙す手口は、現代人なら少しは警戒するかもしれません。王は簡単にこれを信じてしまったようですが、果たして真相は如何に。
◆蘇生から
6:王が尋ねると、彼女は王に事の次第を話した。そこで、王は彼女のために、一人の宦官を付けてこう言った。「彼女の物すべてと、彼女がこの地を離れ去った日から今に至るまでの畑のすべての収穫を、返してやりなさい。」
そう。王は、この女の立場を直ちに理解します。女の訴えを、相手に問うこともなく、その場で認め、王の権限として女の勝訴を決めます。すごい制度です。もとより、具体的な事情は分かりませんが、昔の裁判であるにしてもここまでだとは驚きました。
これで場面の描写は終わりますが、女はどんな気持ちだったでしょう。自分の正しさを確信しながらも、女が単独で王の前に行き、土地の所有や地代について訴えるからには、命懸けであったと思われます。と、王の前へ通されたとき、見たことがある人物がいるではありませんか。息子が死んだとき、生き返らせるなどと言って現れたあの男は、期待だけさせておいて、結局生き返らせることなどできなかった――杖を子どもの顔の上に置く(4:31)など、それらしい素振りをしておきながら、何も事態はかわりません。もしかすると、と期待を抱かせた分、絶望はより大きくなりました。ですから、忘れもしません。あのとき一度絶望の底にまで突き落としてくれた男、その名はゲハジ。顔は忘れるものですか。
でも、そのゲハジが、いま自分のことを王と話していた。いま自分がここに来たのは、神のタイミングとしては絶妙で、ぴったりの時だったのです。正にいま私のことを王に話してくれていた、自分の身の上についての、またとない証人です。その故に、王は自分のことを信用してくれて、訴えたことをすべて認めてくださった。そのことは、女にもよく理解できました。
神の終末の審判があるといいます。キリスト者は、自分が神にでもならない限り、それは自分の思うようになされるのではなくて、神が主体として裁きをなすことを知っています。ある人たちはどうかすると、「神はこれこれをなさるに違いない」とか、「神はこのようなことはなさらない」とか、平気で口にします。でもそれは、神を自分の思った通りに動かそうとする冒涜以外の何ものでもありません。神はどうしてそうなさったか、自分の都合の好いように解釈する人がいます。それもまた、自分が神に裁かれる立場だということを否定した姿です。
しかし、私は神の裁きを受けるでしょう。神が裁く場にいることでしょう。そのとき、イエス・キリストが弁護者であってくださる、というのがキリスト教の一つの大きな核心です。その罪に関する罰はもう私が受けた、その罪は赦された、そう弁護してくださるのがキリストです。そのキリストを信頼してさえいるならば、そして死から蘇ったキリストを信じるならば、赦されて無罪放免となるでしょう。
ここでゲハジは、奇しくも裁き主の王に対して、その弁護人を演じたことになります。恰もキリストのように、この女がどういう事情であったのか、証言し、支援することができたことになります。エリシャが、正にこの女の身の上に、復活の業を起こしていたことを証ししていたのです。
使徒言行録の終わりがけで、パウロがアグリッパ王らの前で弁明をする場面があります。その証しで、アグリッパ王はもう少しで信じそうになるところまで押されます。パウロは列席した人々に対してぶつけます。
神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。(使徒26:8)
イスラエルの王がエリシャの業を聞いて信じたのは、この意味での「復活」ではなかったかもしれません。ただ子どもが「蘇生」しただけの奇蹟があったのだ、という程度の理解であったかもしれません。それは、女もまたそうだったことでしょう。が、この母親もまた、まだ「蘇生」の喜びだけであったようにも思われます。
私たちは、イエスが「死人を生き返らせたこと」を聞いています。しかし、それは「蘇生」なのでしょうか。「蘇生」であってもうれしいでしょう。が、イエスが実現したのは、「復活」です。イエスは神により復活されられたのです。
◆復活へ
アモス書という預言者の書があります。イスラエルへの厳しい裁きを預言します。ついにその裁きの日が来たとき、どういうことになるのか。「その日」の情景を描くひとつに、印象的に「飢饉」の場面が指し示されている場面があります。
その日が来る――主なる神の仰せ。/私は地に飢えを送る。/それはパンへの飢えでも/水への渇きでもなく/主の言葉を聞くことへの飢え渇きなのだ。(アモス8:11)
「飢え」と訳されていますが、「飢餓」でも一向に構わないような語です。そして、それは現実の飢餓でもあることでしょう。天候に左右される農業に依存することの宿命です。しかし、アモスが強調するのは、パンや水の問題ではなく、「主の言葉を聞くこと」についての飢えであり渇きなのだ、ということでした。
私たちは、果たして飢えているでしょうか。飽食日本などと言われていた時期もありました。いえ、実際毎日大量の食品が廃棄され、その廃棄される分まで私たちは料金を支払っていることを意識しないほど、おめでたく食料品を無駄に捨てています。
同じその日に、食べ物が手に入らない国の人々や子どもたちに対して、それがどんなに傲慢な、高みに立ったものであることでしょうか。本当に私たちが、食べるものに事欠いたことがどれほどあるのでしょうか。
他方、同じこの国に、あるいは私たちのつい身の回り何十メートルかの中に、食事を適切に与えられていない子どもたちがいることは、ただ私たちが肌で感じていないだけで、事実いることは十分懸念されます。子どもたちの食事が足りていないのは、6人に1人だとも言われていたことがありました。いまから十年以上前に発表された、ショッキングなデータでした。その後9人に1人くらいだ、という調査もあるようですが、それでも少ない例外などとは呼べないような数字です。
スマホ代は出せても食事代は出せない。餓死という悲しい報道も偶に聞きますが、事実上の餓死は、本当はもっとあるのに隠されているのではないか、と思うことがあります。「子ども食堂」が、心ある人々によって始められました。6人に1人というデータが出たことに刺激されてのことだ、と言われています。キリスト教会でも、「子ども食堂」を始めたところがあります。
確かに、いま助けるという意味では大きな意義をもつことで、困っている人のためになることについては敬服するばかりです。しかし、悪用する人がいることについては、どうしようもないのも確かです。そうした問題を含めて、これを政治的なものにしてゆく必要もあろうかと思います。民間に甘える政治を放置しておくことはできないでしょう。
私たちは、飢餓に対して適切に振る舞っていないように思えてなりません。そして、アモスが告げたように、自分が信仰的に飢餓状態にあることに気づかず、あるいは気づこうともせず、自分は信仰がある、と勘違いをしている可能性は大です。
死者の蘇りを、抽象的に口先だけで言うのが信仰ではありません。そういう者がキリスト教ですよ、と宣伝しても、誰が耳を貸すでしょうか。誰を救うことができるでしょうか。私たちは、御言葉の何を信じているのでしょう。何に生かされているのでしょう。
食べ物の飢饉は、主が起こす側面がありました。しかし、「主の言葉を聞くこと」の飢饉は、私たちから発しています。それは文字通りの「七年間」で済まないかもしれません。「永遠」というような意味での「七年間」であったとしたら、悲しいものです。
エリシャの忠告に従った女は、幸運に恵まれました。私たちも、神への訴えには勝訴することが希望できます。復活の信仰に基づいて、その希望の中に歩むとき、私たちの中に悲しみは消えることでしょう。私たちは、喜びの福音を掲げることができるでしょう。復活への信仰を、改めて強くさせて戴きたいと願います。