映画と批評
2026年10月31日

先般、まとまった休日があり、妻は仕事なので私は家で退屈したので、映画を観ることにした。Amazon Prime Videoはありがたく、以前見逃した映画を観ることもできる。見たいときに観られるし、途中で休むこともできる。
そのとき選んだのは、「不思議の国でアリスと」と、「かがみの孤城」であった。どちらも、映画館で別の映画を観たときに、予告で流れていた。
「不思議の国でアリスと」は、P.A.WORKSらしい作画で、さわやかな、安心して観られる映画だった。私が実際に劇場で観たのは「駒田蒸留所へようこそ」だが、テレビでは「SHIROBAKO」は伝説的な作品だし、「スキップとローファー」や「菜なれ花なれ」、「永久のユウグレ」などを見ていると、なんとなく方向性を感じるような気がするだろうか。
「かがみの孤城」はA-1 Picturesの作品。こちらは幅広く作品を発表しているが、私にとってはなんといっても「四月は君の嘘」である。音楽を重ねた作品には、私は弱い。また、かつては「FAIRY TAIL」や「青の祓魔師」「宇宙兄弟」「冴えない彼女の育てかた」「僕だけがいない街」などの以前のものから、「負けヒロインが多すぎる!」といったテレビに加えて、映画では「心が叫びたがってるんだ。」の他にも「聖☆おにいさん」「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」といったものがあり、今年私は「クスノキの番人」を観た。
もちろん、世間的にはもっと別の作品を挙げる人が多いだろうと思う。私の目についたものを挙げたまでである。そして、この度観た二つの映画、それぞれに楽しませてもらった。そこから考えさせるものを与えてくれた、とも言えるし、これをさらに観た人が、いろいろと考えるようになり、あるいは勇気を与えられたらいいな、と期待する気持ちももった。「不思議の国でアリスと」は明るく、「かがみの孤城」は少しばかり重い雰囲気をもっていたが、それぞれに、自分を見つめ、また希望をもつことへと目を向けてくれた。そういうものを伝えてくれたあたり、さすが多くの人々の手を労して組み上げた作品であったと思う。
世にある映画評というものを、私はあまり信用しない。特に、素人が好き勝手に映画を評価している様子を、私は常々不愉快に感じている。
自分は手間暇掛けることもなく、生活を擲って財産を費やして映画を制作したのでもなく、自分の好みに合わないというだけで、ぼろくそに映画をけなすような人がいる。あれがない、これがない、と映画を一口のもとに斬るのだ。蕎麦屋にラーメンがないとけなし、洋装店に和服がないと非難するような真似をする。高々千円か二千円を払った自分が満足しないから、悪く言う権利があるんだ、とばかりに悪い評判を流して興行の妨害をする。映画の中身に関わることなく、外から高みに立って見下ろしている。
聖書に対しても、そのような態度をとる人がいる。自分は何もしない。手を汚さない。しかし聖書に書いてあることはああだこうだ、と批評する。はては、自分は神のことも全部分かっているのだ、と言わんばかりに論じ、評価する。当事者になりきれないなら、それはそれでいい。だが、当事者のようなふりをして、自分の気に入らない点を斬り捨てるようなことをする。それも、一度すると癖になるのか、ますますそうするのが当たり前のようになってゆく。
自分で自分を許してしまうと、ずるずるとその闇の中に落ちこんでいってしまう。そうした罠から救われる可能性を、聖書というものは有っているように、私は捉えている。