アリの福音
2026年9月25日

二次元世界に住む者がいるとする。もちろんその者も二次元の存在であり、高さというものを知らない。これを、三次元に住む者が見ているとする。その二次元の世界に、三次元世界からぽんと鉛筆で点を打つ。二次元の存在者はその三次元世界のことは知らない。だからこの現象をどう見たかというと、何やら突然そこに黒い丸が現れたように見えるに違いない。原因不明である。二次元の住民からすれば、それは奇蹟である。
アリは、確かに三次元の世界に住んでいる。二次元の平面にへばりついて、高さがないというわけではない。だが、アリの行列に、人間がぽんと竹串でも差し込んでみると、同じ三次元の世界だから理解できるかというと、何が起こったのか恐らく理解できないのではないかと思われる。突如目の前に妨害が出現する。自分の知っている知識では説明できない出来事が、予告もなしに突如現れたのだ。そう。アリの知る三次元というものの枠が、あまりに狭いのだ。大きすぎる人間という存在が、私たちが見て知るような「人間」としては捉えることができないのである。
たとえば、こういうことである。私たちは、台風の全貌を知ることはできない。いま風が吹いている、雨が降っている、それは分かる。だが、台風全体の姿は、気象衛星が送るデータから知ることができるだけであって、直接私たちの感覚に於いては、台風という存在を認識することはできないであろう。認識するのは、いまここに顔に吹き付ける雨風だけなのだ。
アリは、同じ三次元にいて、アリに手を下しアリ社会を一瞬で破壊し無きものにさえできる人間というものの存在を、感覚できない。そして、そういう人間という存在を認識し把握することはできない。
人間が、何もかも知っているとか、知ることができるとか、そう言えるのは、私たちが人間であるからだ。アリにとっては、人間の全体像を知ることはできなかった。人間の知ることができないでいるような存在があるとするのは、さして不自然なことではあるまい。そんな都合の好いことがあるものか、と言う人も、正しいとは思う。だが、それがない、とすることもまた、不可能なのである。
但し、どういうわけか、その認識できず感覚できない存在と、つながるという経験が現にあるらしい。ただの錯覚にするには、その経験が実際余りにも多い。私もそのはしくれである。