【メッセージ】あなたを離れない――エリシャ(6)――

2026年9月20日

(列王記下4:8-37, ルカ7:11-17)

ところが、子どもの母親が、「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。 私はあなたを離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後に付いて行った。(列王記下4:30)
 
◆子に先立たれること
 
とてもデリケートなことに触れます。子どもが亡くなるという話です。これ以上辛いことがあろうか、とも思われる出来事です。経験ある方がおいででしたら、無理にお聞きくださらなくても構いません。
 
私は小学生のときに、同年齢の従姉妹を、喪ったことがあります。見舞いに行ったときに、チューブがたくさんつながっていたことが印象的でした。すでに、もう話をすることもできなかったと思います。子どもながらに、確かにショックでした。
 
親として、子どもに先立たれるというのは、どんなに辛いか知れません。私はいまのところ経験がないので、迂闊なことは言わないつもりですが、配慮に欠けたことを申し上げるかもしれません。どうかご寛恕ください。――否、先に予防線を張っておくというのは、卑怯であるかもしれません。
 
病気で、その時が迫ってくるのを長い時間絶えるのも、もちろん辛いことでしょうが、突然の事故で子を亡くす、ということは、事態を受け容れられない、というようにも聞いています。心の準備もできず、突然いなくなる――変わり果てた姿になった子と対面するという、残酷な事態は、想像するだけでも苦しいものがあります。
 
そのような事故や事件が報道されます。昔は、その被害者に直ちにマイクを向けるというのが、報道記者の仕事だったといいますが、よくぞそのようなことが許されていたものです。あるいはそれは、世間のニーズだ、という弁明よって成り立っていたとすれば、ほかならぬ私たち一般民衆が、よってたかって被害者を痛めつけていたことになります。
 
2012年4月23日の朝、京都府に隣接する亀岡市で、登校する小学生と保護者たちの列に、無免許運転の未成年が運転する車が突っ込んだ事件(これを事故と呼ぶことは私にはできない)は、鮮烈でした。しかも裁判でも重罰を与えたとは言えず、さらに被害者への謂れなき誹謗中傷を私たちが隠れたところから送り続けるなど、被害者の関係者は、悲しみと怒りの中でさらに痛めつけられることとなりました。意識を転換したいと思いますが、痛めつけたのは、私たち外部の者たちです。
 
福岡で起きた事件で、両親と小学生の子ども2人の、一家4人が殺害され海に沈められるというものがありました。もう20年以上も前のことです。私はその殺された少年を、よく知っていました。彼を教えたこともありました。小学校中学年のときにはまだそう目立ったところもないお坊ちゃんでしたが、勉強に目覚めて真面目に精進し、めきめき力をつけてゆきました。そのときから半年後の中学受験を目指して、塾で最高のクラスにまで辿り着きました。きっと有名な難関校を合格していただろうと思います。報道があった後、彼の席には、誰か友だちでしょうか、ささやかな花の花瓶が置かれていました。
 
◆子を事件で喪うこと
 
彼は、私の子と同学年でした。そして、やはり同じ世代と言えますが、その翌年に、同じ九州ですが長崎県佐世保市で、衝撃的な事件が起きました。学校の中で、一人の少女が命を絶たれたのです。この事件は、日本の教育や法律を大きく動かすことになりました。
 
小学生の加害行為については、「犯罪」という考え方を一切適用しません。捜査も措置も、一般の犯罪とは全く異なっていました。しかしさすがにこの事件からは、何か手立てが必要だという動きが始まりました。すでにスクールカウンセラーという制度が、その十年前から始まっていましたが、当の事件で無力だったと見なされ、この事件以降、真摯に改革されてゆきます。
 
「佐世保小6同級生殺害事件」と聞いて、思い出される方は、どれほどいらっゃるでしょうか。子どもを預かる仕事に携わる私にとっては、そして同じ九州での事件でもありましたから、世間での話題が下火になっても、私の中ではずっと心の中に温め続けてきたものでした。
 
ただ、このたび久しぶりに、事件のことを詳しく見直してみたいと思いました。というのは、事件のことについて詳しくレポートされた本があることを、遅まきながら知ったからです。『謝るなら、いつでもおいで』と『僕とぼく 妹の命が奪われた「あの日」から』という二つの本を、このたび読みました。
 
いま、この本と事件について話し始めると、私は1時間でも2時間でも話し続けることでしょう。それは神の言葉を語る場には相応しくありません。気になった方は、図書館にもこれらの本は置かれていると思いますので、お読みください。『謝るなら、いつでもおいで』は、事件のときのことが生々しくレポートされています。『僕とぼく 妹の命が奪われた「あの日」から』の方は、被害者の2人の兄の心情を交互にモノローグとして綴るもので、特に被害者家族の思いというものが伝わってくるように思います。年の近い方のお兄さんは、事件後、父親と共に福岡に来て、私も知っている福岡の高校で学びました。
 
なお、この父親は新聞記者でした。取材する立場の人でもあったので、事件当日に被害者の父親が自らカメラの前に出たという、前代未聞の事態となったことでもよく知られています。
 
◆子を喪うことで母は
 
聖書の中にも、子どもに先立たれる親の話は幾つかあります。福音書の中にもそれはあり、イエスが心を激しく揺さぶられた出来事を、私は思い起こします。ルカ伝7章です。しみじみ、記事を味わうことにしましょう。
 
11:それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
12:イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、担ぎ出されるところであった。母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
13:主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
14:そして、近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
15:すると、その死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子を母親にお渡しになった。
16:人々は皆恐れを抱き、「偉大な預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神を崇めた。
17:イエスについてのこの話は、ユダヤ全土と周りの地方一帯に広まった。
 
もちろん、子どもを喪うことは悲しいはずです。しかし、「一人息子」という言葉に伴う辛さは、また特別です。母親は「やもめ」だとも書かれています。やもめという立場が、当時如何に厳しいものであったか、私たちは実感しづらいでしょう。女手ひとつで子を育てることができる社会ではなかったのです。もちろんいまでもそれは厳しいものですが、男手を頼らなければ、生活する可能性はまずない、と思われるほどだったのです。
 
その頼りの「一人息子」が亡くなった。それは、やもめの母親にとって、自分が生きてゆく道も断たれた、と思うに等しいことだったと思われます。自分の命もなくなった、という意識を伴う悲しみであった、と思われるのです。
 
こうした社会環境の故に、一夫多妻制があったことは、すでによく知られています。女性が、生活力ある男の傘下に入ることで生きられるようにする、一種の福祉制度であった、そう捉えることができるわけです。
 
イエスがこのやもめを見て、「憐れに思い」ました。この語は新約聖書の中でも有名な語で、聖書を説き明かす人は、まず間違いなくその意味に触れます。触れざるを得ないのです。これは特別な語です。愛情の座と考えられていた「内蔵」に感覚が及ぶ様子を表す語源をもつと謂われています。日本でも、中国由来ではありますが、「断腸の思い」という言葉があり、比較可能だろうとみられています。でもいまはこの程度で通り過ぎることにします。
 
イエスは、自分の内臓がよじれるほどに、この母親の辛さを自分のこととして感じ取ったのです。イエスは、ひとの苦痛を自分のこととして感じてくださるお方だということを覚えます。私たちがイエスに倣うとすれば、このことを覚えておきたいものだと思います。
 
◆神による子が授かる
 
子どもを産むのは、基本的に女性です。そういう機能を体内にもつ性という意味です。男社会は、ともすれば女を、子を産むための「腹」としか見ない例があります。日本でも、古い系図には女性の「名」が記されず、ただ「女」とのみ書かれてあることが多いそうです。紫式部も清少納言も、その名前そのものは伝えられていないのです。
 
女にとり、子を産むことが、女としての証しとされていました。生きている意味であり、生きていることの最低限の義務であった、と見なされます。となると、子が生まれぬことで嘆くというのは当然のことで、旧約聖書は、それを幾度も幾度も描き続けました。多くの女性が苦しんでいたことでしょう。聖書に書かれた記事は、その女に奇蹟的に子どもが与えられるという結果をもたらしています。その背後で、涙に暮れた女性がどれほどいたか、は知れません。
 
遠い国の遠い時代の話ではありません。中国由来にしても、「嫁して三年子なきは去る」という言葉があったほどで、社会の中では半世紀余り前までは通用していた、という見方もあります。法的な規定や家族観の変化で、いまは表立って言われることはなくなりましたが、陰ではそういう感情が残って居ることがあるのかもしれません。
 
子が生まれないことで悩み苦しみ、神に祈るなどする女性が聖書に記録されています。やがて神により子が与えられると、天にも昇る心地だったのではないでしょうか。これでやっと女として生きる意味があったことになる。――ああ、現代からすればなんと筋違いなことを言っているのか、とお叱りを受けるかもしれません。けれども人間は、なんだかんだと、そうしたことに気づかず、誰かを追い詰めているものなのです。いまここでも。
 
預言者エリシャの歩みを追いかけています。エリシャが出会った女が、そのような経験をしました。というよりも、エリシャがそのぬか喜びをさせた張本人というこになってしまったのでした。
 
聖書箇所をすべていま読み返しはしませんが、着目しておきたい点だけ拾い上げると、まず女は「何不自由なく暮らして」いる「裕福な女」でした。通常の生活上は、不自由なことを覚える人ではなかったようなのです。それから、エリシャを「聖なる神の人」だと認識していました。当時の宗教は社会生活に欠かせないものでしたから、社会的にも健全なあり方をしていたものと思われます。
 
その「神の人」たるエリシャを迎え入れることにかけても、その家の財力から、十分なことができました。そもそも最初に、食事はどうですか、風に招かれたことから関係が始まり、エリシャはそこを通る度に立ち寄って、食事に与るようになったようなのです。そしていつでも休めるように、あるいは泊まってゆけるように、専用の部屋も用意するに至っていたのでした。
 
エリシャは、その恩義に対して、何か応えようとしました。人情味があったためなのか、それとも先を見越してのことであったのか、私は決めることはできません。「何をしてあげたらいいだろうか」とエリシャが尋ねたところ、女は「私は身内に囲まれて何不自由なく暮らしています」と答えます。
 
エリシャは、何かあるはずだ、と呟いていたのですが、従者のゲハジが情報を仕入れていました。「実は、彼女には子どもがなく、夫は年を取っています」とエリシャに情報を流します。そこでエリシャは、1年後に子どもが生まれている、と女に告げる。女は常識的に考えて、そんなことはない、と否定したのですが、果たしてその通りになりました。創世記でのアブラハムの妻サラのときも、そんなふうな経緯があったことを思い出します。
 
◆子の死を母は
 
ところが、今日の場面では、その後に悲しいことが起こります。そのようにしてせっかく与えられた子どもが、突然の病で急逝したのです。ともかく喜んだ分だけ、絶望の闇が大きく深くなっていた、と言えるのではないかと思います。
 
実はエリヤにも、似たような事件がありました。それは前回のメッセージで触れ、エリシャの場合と比較しましたので、いま再びゆっくり振り返ることはしませんが、このときには、エリヤを通じて授かった子どもではありませんでした。なんとか飢えからは助かったのでしたが、病気になり、死んでしまったのです。エリヤはその子を蘇生させます。
 
エリヤの場合には、子が生まれぬという苦しみには直接関わっていませんでした。そしてやもめではなく、こちらの女には夫がいました。ただ、エリシャも、このエリヤのように、子どもを生き返らせる機会が訪れます。エリシャは各地を移動していた様子が窺えますが、この女の子どもが死んだとき、エリシャはカルメル山にいました。ひとつの拠点だったのかもしれません。女のいるシュネムからそこまでは、数十キロメートルありそうです。一日がかりで辿り着くようなところだと思われます。
 
母親は、「神の人の寝台にその子を横たえ、戸を閉めて出て来」ます。エリシャを頼りに行くのです。やもめではなかったので、些か勇敢に行動しているようにも見えます。そして、ナインのやもめとは異なり、子が死んだことで直ちに貧困に滅するような危機感はなかったように見えます。
 
従者に対して女は「手綱を引いて進んで行きなさい。私が止めないかぎり、手綱を緩めてはなりません」と勇ましく指示をします。もちろん悲しみで一杯です。けれども、なんとかエリシャにこのことを訴えなければ、との思いが、彼女の行動を支えていました。エリシャだったら、生き返らせてくれるかもしれない。そういう信仰があったのかもしれません。そうでなければ、諦めてしまい、こんな行動には出ないでしょう。
 
日本人の感情からすると、諦めるのが一般的かもしません。散り際の美学はあっても、しつこく生き延びようとする姿勢は潔くない、と見るのです。先の戦争の中での日本軍とアメリカ軍とを比較して追究した本(『玉砕の軍隊、生還の軍隊』)の中でも、そのようなことが指摘されていました。
 
諦めるための「論理」は幾らでも知っています。博多では「しよんなか」と口にします。「仕方がない」という便利な言葉によって、諦めることを「美」とするのです。それが大人の美学というものだというのでしょう。
 
思い通りにいかない。思うように動かない人物がいて、社会がある。この世も人も、自分の思った通りに動きはしません。それでも「しよんなか」と口にして、絶望に陥らないように自分の心を守るのです。
 
◆複雑な訴え
 
エリシャは、遠くから来て現れた女の姿を見かけます。エリシャには霊力があるようですから、子どもの異変にはすでに気づいていてもおかしくはないのですが、その言葉には、何も気づいていないような言い方が感じられます。それとも、わざと尋ねたのでしょうか。「子どもは変わりありませんか」と、従者ゲハジに尋ねさせます。
 
それに対して女は、「変わりございません」と答えます。私たちの視点からすると、嘘を言っているようにしか見えません。強がっているのか。それにしては、何のためにここまで来たのか、ということになります。こうした会話には、何か私たちの知ることのない文化があるのかもしれません。
 
思い出すのは、アブラハムが、ヘブロンで死んだ妻サラを葬るときの話です。そのときアブラハムは、その地域からすれば寄留者でした。その地のヘト人から墓地を買おうとします。ヘト人たちは、どうぞ葬ってください、と言い、アブラハムは、それなら代価を支払うと言います。するとヘト人は、土地を差し上げる、と答えるのでした。アブラハムは、どうしても支払いますと言い、金額を口にします。するとヘト人は、ではそれが額だと言い、葬ってください、と契約が結ばれるのです。
 
お分かりでしょうか。最初はまず葬ってよいかの許可をアブラハムが申し出ますが、それに対して無料でよい、と一旦ヘト人は答えます。アブラハムは、どうしても払わせてくれ、と言い、ヘト人が額を口にします。アブラハムはそれを受け容れ、それでは葬ってください、と結末を迎えるのです。
 
表面上の言葉だけを信用してはいけないのであって、契約の駆け引きの、なんだか暗黙の了解による手続きのようなふうに見えないでしょうか。それを「社交辞令」と呼ぶことは少し憚られますが、一つの「習慣儀礼」のようなものであったのではないか、と推測できるような気がします。
 
実際、「変わりございません」と気丈に答えたはずの女は、エリシャの足にすがりつきました。エリシャはこの時点では、間違いなく見抜いています。最初から分かっていたのかもしれません。「そのままにしておきなさい。彼女は苦しい思いをしているのだ。主はそのことを私に隠し、知らされなかった。」とエリシャは言いました。言葉通り捉えてよいのかさえ、もはや分からなくなってきますが、女はエリシャに、やり場のない怒りをぶつけます。
 
「私はご主人様に子どもを願ったでしょうか。欺かないでくださいと、申し上げたではありませんか」とは、かなり強い口調に聞こえます。先ず自分が子どもをくださいと祈り求め、それに対して神の人が応えた、というわけではありませんでした。すべてはエリシャの方から尋ね、探り、それなら子どもを与えよう、という神からのメッセージを告げ、そうして与えられた子どもでした。子どもを与えたのはあなたでしょう、とエリシャに迫るような訴えでした。
 
◆もやもやを超えて
 
エリシャはここで自ら出向くのではなく、ゲハジをまず行かせます。マルコ伝9章で、変貌山から降りてきたとき、イエスに従って山上に行かなかった別の弟子たちが、律法学者たちと議論していた場面を思い起こします。何の話なのかとやってきたイエスが尋ねると、取り囲んでいた群衆の一人が、悪霊に取り憑かれた子どもから、この弟子たちは悪霊を追い出すことができなかったのだ、とイエスに説明しました。
 
イエスは、「なんと不信仰な時代なのか」(マルコ9:19)と呆れ、悪霊を追い出してその子を癒やしました。弟子たちにはできませんでした。「この種のものは、祈りによらなければ追い出すことはできないのだ」(マルコ9:29)とイエスが述べて、その場面は終わりました。
 
そうです。ゲハジには子どもを助けることはできなかったのです。女も、それが分かっていたのでしょう。ここはぜひともエリシャに来て戴きたいという熱意を表します。

30:ところが、子どもの母親が、「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私はあなたを離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後に付いて行った。
 
ゲハジの後から二人は行きます。ゲハジとしては、エリシャに言われた通りにやったのですが、生き返らせることには至りませんでした。落胆して引き返すところで、エリシャと女とに出会います。子どもは寝台の上で横たわっています。その悲しい、冷たい静かな風景を、想像してみましょう。音のない、時の止まった風景です……。
 
似た事例のあったエリヤのときは、「子どもの上に三度身を重ね、主に叫んだ。「わが神、主よ、どうかこの子の命を元に戻してください」」(列王記上17:21)、と願いました。エリヤのように、エリシャもまた、死んだ子どもを蘇生させます。エリシャは戸を閉めて祈ると、「寝台に上がって子どもの上に身を伏せ、自分の口をその口に、目をその目に、手をその手に重ねてかがみ込む」ようにします。すると、「子どもの体は暖かくなった」のでした。
 
エリシャが、いえ神が、片を付けました。もやもやした思いを超えて、神の業が成就します。絶望と信仰との間を揺れ動いた女は、子どもをしっかと抱き、エリシャをひれ伏して立ち去りました。絶望と信仰との間――いまそう申しました。でも私は思います。女は、信仰告白とも言えるような、鋭い確信をすでにエリシャに対して口にしていたのではないか、と。
 
30:ところが、子どもの母親が、「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私はあなたを離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後に付いて行った。
 
「私はあなたを離れません」という言葉です。日本語の訳が熟考されて施されたことを考えると、この訳に、私たちも私たちの信仰を置きたいと願います。「私はあなたを離れません」は、「私はあなたから離れません」とは違うのです。
 
確かに「私はあなたから離れません」も、強い言葉です。でもそれは、いままで相手のそばにいて、そこに残り続ける意志を強く感じさせます。自分の立場を中心としており、自分が相手から遠ざかることがない、という自分のあり方を示しています。自分が頑張るニュアンスが私には伝わってくるのです。
 
では、「私はあなたを離れません」だと、どうでしょうか。相手への、より強いしがみつき、あるいは一体感を覚えないでしょうか。相手をより主体のように位置させ、より相手に密着した、相手の動きに身を委ねるようなふうに私には聞こえるのです。自分が何かをするというよりも、相手の行動への信頼を含んでいるのです。
 
思い返せば、エリヤが天に昇り消える前に、エリヤがしきりにエリシャに向けて、そこに留まっておけと言ったにも拘わらず、エリシャはエリヤにこう言葉を繰り返していました。「私はあなたを離れません」(2:2,6)と。エリヤは天に昇りましたが、同じようにイエス・キリストも天に昇りました。世の終わりまで共にいる、と言ったイエスに向かって、私たちもまた、「私はあなたを離れません」と望んだのではなかったのでしょうか。
 
比べてみましょう。「私は神から離れません」と「私は神を離れません」と率直に比べるならば、あなたの信仰は、どちらの言葉を用いたいでしょうか。



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